私は夫が転勤族なため日本中をだいたい4年おきに(まるでオリンピックみたいでしょ?^^)お引越しをしてきました。
その度に子どもたちは転校を経験し、お別れと出会いを繰り返し今では日本のあちこちにお友達が存在し、メールでやり取りしたり手書きのお手紙で今でもやり取りをしている姿が見られます。
今住んでいる奈良県生駒市の家は奈良県の橿原市に赴任した時に建てた家で転勤中は不動産にお願いして賃貸に出しておりました。
3年前に東北から大阪に異動となり奈良の生駒市の自宅に戻ったんですね。
でも今年の4月、今度は九州に異動になりました。
息子は中学3年の受験生、娘は中学一年に上がる4月です。
子ども達は皆で行きたいと言ったのですが夫が「お兄ちゃんは受験生だしこの先何年ごとに引っ越しになるか分からないし、そのたびに編入試験は大変やから、お父さん一人で行くわ」と決断し、単身赴任となりました。
私たちは、そんなわけで色々な土地を渡り住んできたのですが引っ越しの度にその土地その土地の物差しがあって、親はよく混乱しましたね・・・
学校によっても「当たり前」なことが違ったりする。
そして、その当たり前のことを知らぬ私たちに対して、知らぬ土地から来た者に対する冷たさはホントに堪えることがありました。
それは攻撃だったりするわけですね。
攻撃。
一人一人の個人を見たとき、みんな本当はいい人なんです。(ここで言ういい人とは”良い人ぶっている”という意味ではありません。)
でも、集団になった時、変わるんです。
それは本意ではないけれど、抜けられない怖さであったり、一緒にそうしていないと自分に向けられる恐怖であったり・・・
例えば些細なことですが、お引越しの時に近所への挨拶に行くタイミングが、その土地によって違ったりもする・・・
後か、先か・・・
でも、その土地ではそれが常識なんです。
そのタイミングがね。
だから、挨拶に行くのが私はホントに怖かった。
攻撃されに行くような感覚になってしまって・・・
ちょっとした過去が人の行動を困難にさせることがあるんですよね・・・
今は大丈夫になったけれど、でも、誰かがそういう似たような状況に陥っているのを見たとき、自分の過去とリンクして胸がドキドキしたりする。
自分の過去と、その誰かとは全く状況が違うと分かっていても。
うまくやれないときは必ず、その人の中に「理由」があるんですよねぇ・・・
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