薄っぺらな言葉・・・それは同情でもなく、共感でもなく・・・夫婦・親子で大事なのは・・・

過去のアメブロから・・・

 

私の尊敬する恩師は「薄っぺらな言葉」が嫌いです。

っま・・・私もですが・・・^^;

私が初めて、それを感じたのは、やはり我が子を亡くした時でしょうね・・・

この時に夫の会社関係の方々に「このたびは・・・」云々カンヌン・・・

と言葉を掛けられた瞬間ですね。

(もちろんあの時声をかけてくださった方々の中には

お子さんを亡くす経験をされた方もおられたかもしれないし、

逆に、若い夫婦だった私たちに、どう声を描けたら良いものかと、

悩みながらおられた方もいらしたでしょう・・・

今思えば、、、ですが・・・)


実は、この私が尊敬する恩師も我が子を亡くす経験をされております。

そのお話を聞かせていただいた時、私自身が亡くす経験をした後だっただけに

あえて、彼女に だからって何か気の利いた言葉を掛けるでもなく、

自然の流れるままに、話を続けたと思います。

 
又、私の幼馴染の友人は乳がんで片方の胸を無くしました。

この時、彼女は、

誰にも理解できない自分の苦しみについて、吐き出したことはありませんでした。

経験のない人に話せるわけもなかったのでしょう。

キーワードは「同情」です。

「同情」は「邪」になります。

これは「共感」とは違いますね。

でも、この「共感」も「薄っぺらな言葉」を掛けられれば「邪」になります。


子どもが学校で何か辛いことがあって帰宅し、

胸のつかえを吐き出したくて親に話に来たとき、

親は過去の経験から我が子にアドバイスしたくてウズウズし、つい、

「余計なこと」を話してしまうかもしれません・・・

それは、親自身が子ども時代に似たような経験を受けた、

又は「見た」ことで、そこに思いを重ねてアドバイスしているかもしれません。

でも、その親である あなたご自身は、あの時、あなたの親に何を求めたのでしょうか?

アドバイスでしたか?

子どもは、親に解決なんて求めちゃいないかもしれない。

ただ、「うん、うん」と聞いてほしいだけだったかもしれない。


夫が、会社で上司の愚痴を言いたいとき、

妻に求めるものも、それと同じではないでしょうか?

その空間が無くなった時、夫は家に帰る足が重くなるかもしれません。

そして、本来、妻に求めたい物を外に求めて誤魔化すようになるかもしれません。


相手の話が聞けていないと感じたとき、

それは、あなたの中に、欲している何かがあって

それが原因で、子どもや夫の話が聞けないのかもしれません。

「私を見て」「私に注目して」「私の話を聞いて」

そう何歳から思い、過ごしてこられたのでしょう・・・

もしかしたら、これかもしれないし、他にもあるかもしれませんね・・・

それが分かったら、今より話が聞けて、距離も縮まるかもしれません。

そうなれたら、いいですね。

薄っぺらな言葉で同情の言葉を掛け、その場を適当に取り繕ったりしないで、ただ、相手を見て、聞くだけで。

それだけでいいかも^^

 

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