安心する空間の提供、そして全ての親たちの孤独感・・・

過去のアメブロから・・・

 

1月20日日曜日読売テレビ。辛坊アナウンサー出演の「そこまで言ってええん会」

子どもたちとリビングで昼食した後、おしゃべりしながら観てました。

久しぶりの のんびりタイム・・・

この番組を観ていると、毎回家族それぞれが自分の考えや意見を、言い出す言い出す^^;

意見が出ると言うことは「自分の考えがあるから」であって、

ただ単に「否定したいがために」意見を述べているのではないですね。

(なぜなら、自分の意見がコメンテーターと同じときは「うんうん」と頷いて聞いてますからね・・・)

こういう時、子どもたちが 何か意見を言った時に

私が親として聞き入れられない内容と感じたとき

その場合は あきらかに 私自身が何かそこにリンクする問題を抱えていた場合に勃発します。

何が勃発するかって?

言い合いですね。

子どもと親である私との”言い合い”です。

ですが私自身が問題を抱えていないとき

子どもたちの意見を

受け入れること、聞くこと、受け流すこと、聞き流すこと。

これができます。

過去の私を考え思い出したとき、一々反応していたもんだなぁ~~~っと思うんですね。

そして あのころは生きていても しんどかったなぁ・・・っと。


ここで、子どもたちの話を聴くときに注意しないといけないことがあるんですね。

それは、いつも言いますが、・・・

今回の場合、

子どもたちが何かを感じテレビに向かって意見を言うわけですよ。

そして、そこで私がもし親として聞けない内容だと感じたとき、

例えば「親として責められた感じ」

とか

「攻撃された感じ」

なんかを感じ険しい表情になり、「は?どういう意味?」

なんて言ったらどうでしょう?

それでも子どもたちは感じることを感じるままに話し続けることが出来ると思いますか?

まず無理でしょうね・・・

恐らく子どもたちはフリーズして固まってしまうでしょう。

無言のメッセージとして親から

「黙れ!」「何も言うな!」

なんていうメッセージが送られてきた、、、と感じることでしょうね。。


そこに「安心して話せる空気」は存在しない。

人との関わりでは”自分の考えを伝える。”という作業は必須です。

そうでないと自分軸がぶれてしまいますね。

「誰かに合わせて生きる」・・・なんて、自分軸ではなく他人軸ですね。

つまり相手(子ども)が何か意見を言った時に険しい表情を相手に向け、

無言の圧力を与え、黙らせたりすることは

自分の人生を生きてはいけません。

というメッセージを送っているようなもんです。

そんな人生、折角生まれてきてくれたのに、送ってほしくはないもんです。

(これはあくまでも親としての私が思うことで、本人がその人生を選ぶなら何も言えませんが、、、)

安心して話せる空気を常に出していたいものです・・・


余談ですが、「そこまで言ってええん会」は今回「命」がテーマでした。

途中で「結局責任は”親である”という言葉が出てきました」

ここでちょっと一言言わせてください。

「やかましいわ!!ぼけ!!何でもかんでも親のせいにして責任擦り付けんじゃないよっ!!

そうやって世間からの”親に対する社会の目”が親を混乱させ萎縮させ

我が子をそのまま受け入れられなくしとんじゃい!!

なんでそれが わからへんねん!! 

子どもは地域、社会、皆で育てるもんじゃ!!

そうやって皆で寄ってタカって親を孤独にするんじゃねぇっ!!ボケッ
!!」



ふぅ~~~スッキリしました^^

あらっっ!!私としたことが・・・なんて言葉使いを^^;

オホホホホッ!!(そんなことは ちっとも思っちゃいませんが、、、オッホッホ!!)

失礼しました。


今日は「安心する空間の提供、そして全ての親たちの孤独感・・・」でした^^

おしまい!!

 

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