傷つけあうこと・・・

過去のアメブロから・・・2月5日

 

今日は、ちょっといつもに増して重いです。

それに、いつものテーマから少し外れてもいます。

障がいのある者同士での温度差についてです。


私には障がいを持つ友人が何人かいてます。

目が見えない人。

耳が聞こえない人。

足が不自由な人。

上手く話せない人。

手足が自分の意思で自由に動かせない人。

様々です・・・

先日、そんなお仲間の中からこんな情報が入りました。

障がい者同士でも傷つけ合い、近づけなくなる時がある。

というのです。

はぁ?って感じですかね・・・理解不能???

例えば・・・これは私が手話の勉強に行ってる時に知ったのですが

耳が少しは聞こえる難聴者の方と耳が全く聞こえない方同士での気持ちの問題です。

難聴者の方は電話で話が出来なくもない・・・

けれど、全く聞こえない方は電話で話すことはできませんね・・・

そこで「あなたたちは電話で話すことができるでしょ!!」

っと言われたりする・・・

(全ての聴覚障がい者の方が難聴者の方にそう思ったり言ったりするわけではないですよ。

誤解しないでくださいね。)

例えば、先日、聴覚障がい者の集いがありました。。

でも、耳も目も両方にハンディーがある方が その集いに出向いて行ったら参加させてもらえなかったんです。

なぜ?

目が悪い人向けの介助者がいなかったから?

いいえ、その方は、そこへ行くまでに介助者の方と一緒に行っていますから、それは関係ないはずです。


区分けされてしまったんですね・・・

以前にも障がい者?健常者?よぉ~わからへんわぁ・・・でも少し触れましたが、私の息子にも以前似たようなことが起きました。

手話サークルで聞いたことは「そこに妬みがある。そして 難聴者と私たちを同じにしないで!!」という気持ちが見え隠れする。

集いの件もその匂いがする。

「私たちとあなたは違う。」そんなふうに言われたような気がしたのではないでしょうか。

人は自分に理解が出来ない人に対して、その人を「特別な人」「おかしい人」に仕立て上げますね。

理解できない自分を棚上げし相手を「特別な人」「おかしい人」にすることで

自分は「間違っていない」ということにする。

だから、「同じ仲間同士でつるんで」「同じ仲間と少しでも違うところがある人」は

「区別」「区分け」することで「排除」し安心する・・・

「私たち正しいよね^^」「私たち同じ仲間だよね」っとね。

一体誰がこんな考え方を植えつけたんでしょうか??

このことについてずっと考えてました。

これは、もしかして、私たち健常者ではないかしら?

私たち健常者が障がい者の人たちを 時には「特別扱い」をし、時には「区別」をして

傷を与えてしまった結果ではないだろうか・・・

それは私たちが悪いのではなく、私は40代ですが、

少なくとも40代以降の世代は学校で障がいのあるお友達とクラスを全く分けられてしまい、

交流をさせてもらえなかった世代だと思うのです。

だからこそ、どう接していいか分からない・・・そこから来ていないだろうか・・・

だとしたら・・・その傷のせいでこういう状況が出来てしまった・・・ということかもしれません。

これはある意味「虐め」と同じですよね。

集団虐めと同じです。

こういう大人の姿を子どもたちの目の前にさらさないでいただきたい。

私の子どもたちはこう言います。

クラスの中に障がいのあるお友達が居て接するうちに色んなことを学んだようで

”ちょっと手を貸せば障がいのある人たちも何だってできるんだ”っと。

そして、息子と娘から教わったのは”その人たちと自分たちとの”「平等の難しさ」でした。

言い方は悪いでしょうが、障がいのある人の中には

「被害者意識の強い人」もいる・・・と子どもたちは感じているようです。

優しくしてもらって当たり前。やってもらって当たり前。

そうじゃないよね。って話です。

逆に健常者が「いい人ぶりたくて」過剰に手助けしようとする。

これも違うでしょ?って話です。

「同じ空間の中で過ごしながら、お互いが困った時に手を貸しあうのが平等じゃん。」

そう言うのです。

私の息子は自分自身が「皆と同じように動いてはいけない」

・・・と幼いころ親から保育士から感じさせられ散々嫌な思いもしてきているので

特にそう強く感じるのですね。

私は、恥ずかしいな・・・っと思いました。

若い人たちの方が しっかりと考えてるじゃないですか・・・

障がいのある人同士での差別や健常者が障がいのある人たちへのサポートの在り方を考えたとき、

もっと同じ空間で時を過ごせる場を増やせていけたらいいのではないか・・・

そしたら、少しずつ近づけあい、理解し合うことができ、互いが適切な手助けもでき、

そしてその人達が大人になって子どもを産んだなら、またさらに近づきあい。。。

そうやって皆で手と手を取り合えればいいね・・・


あ!・・・又 ふじたの”スケールでかっ!”のお話でした。

最後はいつも、こうですね・・・


※補足・・・息子と娘はここで「平等」という言葉を使っておりますが、恐らく

「平等」ではなく「対等」という言葉が適切かな・・・って思います。

「対等」であるために・・・でしょう。

障がいがあろうがなかろうが「俺たち沢山気づかせてもらってるし、助けてもらってる」

そう話してましたから・・・

だから、「相手が助けが必要な時だけ俺らがその必要な助けを差し出せばいいんだから」

と・・・

これまた「対等であること」も、実は日常的に誰もが出来ていないとも思いますね。

若い人の知性から教えられっぱなしです^^;

 

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