物の捉え方は人によって違って当たり前。普通とか皆とか一体なんですか?

アメブロ過去記事5月10日投稿より・・・

 

「阪急電車」

この映画をご存知の方もおられるでしょう・・・

劇場版で観られた方も沢山おられますよね・・・

ふじたは この連休中に偶然、夫がテレビをつけたら
始まるところで・・・

ついつい最後までみちゃいました^^

夫も別に観たくてつけたわけじゃなく、
偶然が偶然を呼んで重なって・・・

子どもたちもリビングにこれまた偶然一緒にいたということ…

この映画は本が出版されて、映画化されたと聞いています。

「あらしの夜に」の絵本作家の きむらゆういちさん 
の講演を聞かせてもらった時のこと。
ちょうど映画化されることになった時で
まだ完成されていなくて監督からBGMに使用する曲を 
きむらさんが聞かせてもらったときのエピソードがありました。

監督…「この曲はオオカミのガブとヤギのメイが
初めて出会うところのシーンで使う曲です^^」

きむらさん…「ふ~ん・・・」

なんか他人事みたいな感じだったと言います。

自分が作った絵本と映画は一致しないということ。
そしてそれは当たり前なんだということです。

「僕は皆さんの家庭にカレーの材料とレシピを渡します。
でも味はそれぞれの家庭で違って当たり前なんです。
映画はレストランのシェフが作ったもの。
そう思って観てほしい」

すごいね・・・
そう言えば「バッテリー」をかいた あさのあつこさんも
映画化された時

「私の 主人公 原田 巧 と 
監督の主人公 原田 巧 はあきらかに違う」
と言っていた。

「阪急電車」について青森に住んでいたころ、
読み聞かせ仲間が何やら「ぶーぶー」言っておりましたが・・・^^;

きむらさんが言っておられることで収まりがつく気がします。

物の捉え方は人によって違って当たり前なんですね。

よく「普通さぁここでこうするやろ?こう思うやん」

その「普通」っていう定義はどこから来ているのでしょう?

よく「みんなそう思てる」って言いますけど

”みんなっ”てどれだけいる中での”何人”なんでしょう?

そう考えてみたら、
やっぱり自分の頭で考えたことが
一番しっくり来る気がしますね・・・

話を戻しますが・・・

作家は多分、自分が作った作品が映画化されることは 
本当はあまり歓迎していないのかもしれない・・・
けれど、きむらさんのような捉え方や 
あさのさんのような捉え方をすることで
「自分の問題ではない」
とすれば苦しくないかもしれませんね・・・

ちなみに・・

阪急電車

観ていて沢山の気づきに出会いました。

冒頭に出てくる男性が結婚準備中に彼女の後輩と浮気をして妊娠させ、結婚できない ということを伝えるシーン。
ここで男性が放った彼女への言葉。
「お前は泣かへん。こいつには俺がおらなあかんねん」
(・・・だったと思います。)

そして元カノが
「条件として私を結婚式に呼ぶこと」と言い、
白いドレスでの出席シーン。

男性が彼女に(浮気相手にも元カノにも)
何を感じていたのか…とか

元カノの立場で寝取られたとはいえ、
白いドレスでの出席を決意した彼女の気持ち・・・

ちょっと違う方向からの映画鑑賞でした^^

(他にも沢山ありますが、きりがありませんので・・・)

子どもたちも成長したのか、

言うことが以前とは違っていましたね・・・

たまには家族で映画もいいもんですね・・・

 

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