あなたのその目線は 誰目線? その目線で自信を子どもから奪っていませんか?・・・2

アメブロ過去記事6月9日投稿記事より・・・

 

昨日のブログ
「あなたのその目線は誰目線?その目線で自信を子どもから奪っていませんか?」
では、中国地方に住む
私の尊敬している恩師のお話を少し出しました。

今までにも、この恩師の話は
ちょくちょく出してきておりますが…

彼女は別にカウンセラーではありませんし、
普通のおばちゃんです。

ただ、本が大好きでお教室を退いてからは
念願だった家庭文庫を始めましたし、
あちこちで読み聞かせをしに行っております。

絵本から児童書、なにやら難しい本まで
5000冊をゆうに超えており、
彼女の住まいは本当に本だらけです^^

私が読み聞かせしていたころは
一週間に一回は電話でお話しする時間を設けており
その時間に児童書の本の情報交換をしておりました。

まさに本のソムリエ…と申しましょうか…

東北では絵本作家の講演が盛んに行われており、
そこに携わっておられる方と
偶然ひょんなことからメル友になった ふじたは
いち早く次回どなたが来られるのか情報が入り、
申込みも真っ先にできたもんです。

そういった情報もお互い交換し合いながら
彼女とは楽しい時間を過ごしました。

その時間内で語った彼女の言葉が
今でもいくつも残っております。

些細な事かもしれませんが、

例えば小学校時代の同級生が亡くなり、
葬儀に参列した際、
久々に会う同級生がそこに顔をそろえます。

その際、
亡くなった同級生の死を受け入れるために
参列しに来たにもかかわらず、
久々の面々たちでそこだけ「同窓会」になってしまう…

そういうことを彼女はすごく嫌がりました。

何をしに来たのか…同窓会はここでするんじゃない。

別日にすればよい。

親族の方々に対して失礼じゃないか…と。

勿論、それらは彼女が感じたことであり、
どうあるべきか…といった姿に正解などないのですが…


ただ、そういった気持ちの部分で
ふじたと通じるものがあって、
心に残ってるんだと思います。

子どもに対する対応一つとってもそうです。

国語の音読は
早く読みなさいと言わんばかりに
タイムを計る。

恐らく早く読めるようになることで
早く問題を解けるようになるだろう…
そういう大人の考えからタイムを計ることが
強いられているのかも知れません。

けれど、実際は現場はそうはなっていない。

彼女が出した考えは、
「間違わずに読めたらA、
ちょっと間違って読んでしまっていたらB」
としていました。

結果全ての子どもたちがそうとは言いませんが
ふじたの子ども達二人は国語力はつきました。

最初に通っていたお教室では
マニュアル通りの指導でタイムを計られ、
子どもたちは、それをすごく嫌がり、
(他にも色々あったのですが)
別のお教室に変えた所で
出会った指導者が彼女だったんです。

彼女は早く読めるようにすることよりも、
書いてあることを正しく読む力を
優先させたんですね。

早く読んでも勝手に解釈して
文末表現を変えて読んでしまっていたら、
回答は出なかったり
間違ったりするのは目に見えています。

些細なミスは大きな減点に繋がります。

ふじたの子どもたちは
彼女の所に変わってから
読むときに、安心のなかで読めたと言います。

また、
私の息子が国語の教材で
お話のプリントの時、
全く問題を解かずに最後まで読んでいる姿を見たときに
彼女は一度も止めなかった。

むしろ、そういう生徒こそ
「本の虫」
として喜んで歓迎してくれていた。

「お話の世界に入り込める子は、
いつか何らかの助けになる日が来るだろう。
だから止めちゃいけないよ。」

そう言っていました。


大人は時に、計算高く物事を考え、
「○○をすれば△△になるはずだ」
という定義を勝手に作り上げ、
そうならない子どもを責めたりするけれど、

それが

誰目線か?

ってことに繋がります。

子どもたちのため…と言いながら、
その子どもたち自身に

「何を考え」

「今、どんな気持ちなのか」

それすら
聞かずに

「押し付ける」

この「押し付け」が

「邪」…なんですよね…

もう一度、言います。

ホントは言いたくない言葉ですが・・・

あなたのその目線は誰目線ですか・・・?

その目線で、子どもたちから
自信を奪う結果になっていませんか?

今からでも遅くはありません。

混乱し、
じゃぁこの先どうしたらいいか分からなくなったなら、
カウンセラーを訪ねてください。

カウンセラーはいつだってあなたを歓迎します^^

あなただけが悪いわけでもなく、
あなただけに責任があるわけでも決してないのですから…

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