葬儀に参列する、参列しない、どちらにも理由があります。

アメブロ過去記事8月18日投稿記事より・・・

 

時々聞こえてくるんですが…

人の最後の式って お葬式 じゃないですか。

この式に参列する人数で、故人の人柄って、
ホントに計れるんですかね…^^;


だってね、参列者の中には

「行っておかなければ、あとで、周りから
何思われるか分からない…」

って思って参列する人だって
いるかもしれないじゃないですか…



関係ないんですけどね…


子どもたちが小学生のころ、
夫の転勤で、
ある地方に住んでいた時期のことなんですが…

夫の会社の人で同僚と飲んでいて気分が悪くなり
タクシーで帰ったらしいのです。

で、玄関でそのまま倒れて亡くなった方がおられます。

私の夫は、その方の葬儀に参列しませんでした。


葬儀の日、ちゃんと礼服を着て会場に向かったんです。

で、葬儀がまだ終わっていない時間に帰宅したので

「あれ?もう終わったん?」

そう聞くと

「・・・・・・・」


ピン!と来ました。

黙って見守っていたら

「行くの、やめてん…」

「…違うよね?行けなかったんでしょ?」

「…うん…そんなんな…俺と同じくらいの年齢で
似たような年齢の子どもが二人。
奥さんの姿、見れやんだ…」

色んな感情が混じり合い重なり合って、
会場まで行きながらも戻ってきてしまったんです。



何処かの地方では、亡くなった人の家族は
葬儀に出ずに奥の部屋でこもっているそうですね。

それは悲しみに暮れる家族を守る意味かもしれません。

よく言いますよね…

「気丈にも奥様はご挨拶されてました。
その隣で手を繋いで無邪気に笑う幼いお子さんの姿が
印象的でした…」

やかましいわ!!勝手に言うてんな!!

って思ったりする…



ニュースでも悲惨な事故や殺人事件の被害者を
名前も写真も年齢も場所も報道しますよね?

しかも葬儀まで写して
参列者にインタビューまでやったりしてね…

亡くなった人には人権がないからいいと思ってるようですが
…家族もいますけど?

家族は顔さえ写さなければOKかいな?

少なくとも、周りの人は知ってるでしょう?
ある意味さらし者でっせ?


その時もこうですわ。

沢山の参列者が列をなし、故人の冥福を祈りました…

亡くなった人の人生は、葬儀の参列者の人数で
何が決まるのですか?

私の夫は 参列できなかった人ですが、
そういう人は だったら、なんなんでしょう?

確かに、夫の場合、彼自身の中で色んな感情が周り、
行けなかった人です。

奥さんの顔がチラっと垣間見えただけで、
足が止まっちゃったんです。

そこには、

”さらされている奥さん”

を感じ、同時に自分の姿と重ねたかもしれません。

でも、薄情だとは ふじたは思いません。

ふじたも、恐らく彼と同じことをしたと思います。

遠くから手をあわせて帰ったと思います。




参列者の人数で、人の人生は決まらない。

最初にも書いたように

「行かなければ 
後で何を周りから思われたり言われたりするか
分からない・・・」

そういう理由で参列している人もいるかもしれないからね…

(いえいえ、実際そういう人、いますけど…^^;)



あまりよく言われている
(使われている)
言葉のフレーズに
騙されないことですね。

昨日のブログでも書きましたが、
それこそ

「決めつけ」

ってもんですから…



これに比べると小さな小さなことかもしれませんが、
学校などで子どもが皆のさらし者になることありますよね?

(本人にとっては全然小さなことでは
ありませんが…^^;)

先生に叱られる場面だったり、
失敗して、からかわれる場面だったりね。

さらし者の傷って誰も持ってると思うのですが、
その経験をどう活かすか…

これが大事かなって思います。

誰かにその傷を擦り付けるんじゃなくて、
別の方法でね…


こうして考えていくと、繋がってるんですよね…

 

本日のアメブロ記事・・・

 

ふじたカウンセリングfacebook  良かったら遊びにいらしてくださいね^^