障がい者?健常者? よぉ~わからへんわぁ・・・

アメブロ過去記事9月22日投稿記事より・・・

 

この記事は平成25年1月28日の記事を
かなり^^; 加筆修正し再投稿させていただきました。


本日も、また、テーマ重いっすよねぇ~~~

あ~これどうよ?って感じですね・・・(;^_^A

しかも、少し今までとは路線が違う。

今回は ”障がい者も、健常者もないやろ・・・”
って話です。

以前のブログに「信頼できない…

っていうブログがあるのですが
これに息子の話を少し出したと思うんです。

息子は4歳と6歳の時に胸の手術を受けているんですが

幼稚園入園する直前に手術を受けていたため

ちょっと心配ではあったんです。

手術する前に色々検査しますよね~。

そこで新たに分かった問題も出てきて

その部分においては日常生活には支障ないものの

あまり、激しい動きにはついていけないだろうから・・・

っというお話を医師からは受けていたんです。

ですが、彼はその状況が生まれつきなため

楽に呼吸ができるということが

どういう状態のことなのかが分からず

みなと同じように動いてしまっておりました・・・
σ(^_^;)

直ぐに息がハァハァあがりながら・・・です。

(ですが、日常生活には支障がなく
通常の生活で良いとのことでした。)

そのうち小学校高学年あたりから走りが早くなり

中学ではリレーをアンカーで努め

学年で首位争いを果たします。

連続しての無酸素運動はできませんが

一回くらいならできたんですね。

医師の言うことは、分からんもんです^^;

あ・・・話が脱線しましたね。


我が子のことをここで持ち出すのもなんですが…

手術を終えて退院し幼稚園に入園しました。

そしたら入園して数日たったころ

隣の小学校の男子生徒3名から休憩時間に

息子の胸をめがけて飛び蹴りをされる…
ということが起こりました。

隣の小学生が幼稚園に侵入を勝手にし

幼稚園と小学校の境目あたりの園庭で

遊んでいた息子に対して 急に

”眼鏡をかけている息子”

をからかいに来て飛び蹴りです・・・

このことが切っ掛けで

園側には体のことは話していたものの
医師からは通常の生活で良いとの指示もあったため
誰にも話すこともないと思っていたのですが…

息子の胸の状況を黙っていないで話した方が良い。

と判断し、父兄の皆さんに伝えてもらいました。

それが思わぬ波紋を呼び、他の父兄から

「私たちの子どもは皆健康なの。
藤田さん分かって頂戴。
そういう子ども(ふじたの息子のこと)は
そういう子どもばかりいる施設に行けばいい。」

っと言われてしまいます。

ですが、健康体であろうがなかろうが

他人の胸に飛び蹴りをすることはどうなの?

って話です。

これは逆差別だと感じました。


ここから先は ほぼ ふじたの持論ですので
ちょっと話が分かり辛いかもしれませんが…

もし、いやいや、それは違う…
って意見をお持ちの方もおられる思います。

答えに正解も不正解もないと思います。

それはそれでいいので
あなたが感じたその感覚を
大事にしてくださればいいかなって思います…

では いきますね。

私たち40代の大人が小さかった頃
(でも本当は40代に限らず…ですが…)

学校には特殊学級があり、その子たちと絡むことはなく

いつも分けられた空間にあり

なかなか接する機会がなかったし、また、

たいていの親からは そういう子どものことについて、

どう説明があったかと言えば

ここで言うには憚れる内容だったと 認識しております。

だからこそ、私たちはどう接していいか分からない。

どのタイミングで手を差し出せばよいか分からない。

そして、自分の至らなさから来る混乱から逃げたくて

見ないフリをする。



でも、だからって、あなたが悪いわけじゃないのです・・・

ふじたが 言いたいこと。

なぜ、”障がいのある者”と”ない者”を世間は分かるんか?

と聞きたい。

ええですか?

健常者なんか、この世の中 どこにもいませんよ?
います?どこに?
誰もが全くの健康体ですか?

私は違います。
私は腎臓が奇形です。(ちょっと極端ですけど^^;)
一つは ほとんど形が無く機能していないし
もう片方も所定の位置にはなく形も歪で
膀胱の管も真っ直ぐに下りていないため
排尿に困難な時があります。

骨も所々生まれつき、とげがあり神経触るので
場所によっては痛みが出ることが多々あります。

椎間板ヘルニア持ちなので腰がよく痛みます。

心臓は生まれつき不整脈なんで
時々しんどくなり足のむくみが辛く
呼吸もしずらくなります。

おまけに最近では目も老眼来てますね・・・^^;

こんなん

”私もそうや!” 

って言う人 仰山 居てると思いますよ?

でも、いわゆる健常者扱いですやん?

例えば、学校で目が悪い人には配慮して

席を前の方にしたりします。

目が良く見える人は後ろに座ってもらいます。

それは差別じゃないですよね。

”障がいがある”・・・と世の中で言われている人達は

ずば抜けた物を持ってる人が多いです。


記憶力が半端なくいい人も居てます。

純粋で心がメッチャ綺麗な人も多いです。

生きてるだけで人を癒やせる人も多いです。


人は自分には理解できない人のことを

「おかしい人」「気が振れた人」呼ばわりします。

自分が理解できないことを棚上げし

自分は間違っていない、正しい

だから相手が 「おかしい」

とジャッジを下すことで

自分を正当化するんですね。


これは 障がいのある者 ない者 
にも言えないだろうか・・・

世の中、何で分けるんやろうか・・・
皆が同じ道を歩いてええはずやのに…


傷つけあうから 同じ道を歩けなくなる人が
出てくるんと違うやろうか?

・・・って思うのは ふじた だけかいね・・・

もちろん、同じ道を歩きたくなければ

歩かない自分 を選ぶこともできますけどね^^


※ いわゆる健常者と呼ばれる人たちは
障がいのある人たちを知らな過ぎるのかもしれません。

障がい者手帳にもランクがあったり
障がいがあっても認定されずに健常者扱いされながら
キツイ生活を強いられている人もいるようです。

実際これだけではなく ふじたの知らないことが
まだまだ沢山ある。

実際のところキリがありませんね…

無理にとは思いません。

でも、小さい頃から 
日常の中に障がいとか関係なく
同じ空間を過ごし
泣いたり 笑ったり 
怒ったり ケンカしたり できたらいいなぁ~。
って思うんです。

勿論これには賛否両論あるでしょう。


あくまでも、これは ふじたの持論です。

当たり前の空間の中で振れ合い
体で体得した感覚は一生忘れないと思うし
少なくとも大人になってから急に接し方を学ぶより 
はるかに質の高い学びを得るんじゃ ないかしらね…

ちょっと 生意気 言いました^^;

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