子どもが悪いことをすると正義感が沸き起こり一緒に注意したくなるのは・・・

アメブロ過去記事11月6日投稿記事より…

 

子どもが目の前で悪さをしたとき
大人は注意したくなるものですね…

(それは正義感からですか?
清く正しい大人の姿を見せるためですか?
それとも周りへの配慮からですか?
すいません、いきなりの意地悪発言…)

だって、それは悪いことだから…
例えば、この時間に登校?
って時間に絶対に遅刻やろうに 
のんきに歩いてる学生を見ると
気持ちがザワザワするとかね。

(そもそも悪いことの定義はなんでしょうね…^^;
そして、それは誰の問題なのかしら?)

例えば 人対人 の場合。
そこには恐らく加害者と被害者がいるんでしょうね…

そして、被害者に対して謝罪するように
第三者によって求められてしまう…


例えば、一方が子どもで、加害者。

もう一方が大人で、被害者  だったとします。

この大人は仮に ふじた としましょうね。

一応 被害者になった ふじたは
加害者の子どもと向き合います。

これは、ふじた 対 子ども の問題です。


ここへ第三者の大人が応戦に来たとします。

この第三者の大人が応戦した相手は
ふじた側に応戦したとします。



これ、最悪ですね。


少なくとも ふじたは頼んでないし…
そしていつしか ふじたが加害者になってしまいますやん・・・

(まして、子ども同士の場合は尚更です。
大人が介入しない方が良い場合が多いですね。)

昨日のブログでも、指しはしませんでしたが
そういう場面がありましたね。

時々あるのが親が二人がかりで
子どもにお説教を垂れる行為ですね。

恐らく、やってる二人は(親)
内心では本意じゃないと思います。

こんなこと子どもにしたくないと思ってると思います。

でも、だったら
ほかの手立ては何があるの?
教えて!
って心の中で叫んでると思います。

癒しきれていない自分がそこにいるからね。

躾 という名ばかりの躾を行いながら
親は混乱の中です。

まるで迷宮に入ったかのようです。

壁伝いに歩いてもなかなか出口は見つからない。



誰かが迷惑そうにしている姿を見ると

自分が注意してあげなければいけない。

と思い込んでしまったり・・・
それって常に怖い人の顔色見て
ビクビクしながら過ごしてきたせいかもしれません。

だから、子どもが誰かに迷惑行為をしているのを見ると 
つい声を荒げてしまう・・・

その行為、本当に自分がしたくてシテル行為かしら・・・


本当の自分はどうしたいと思ってるの?

この衝動的に沸き起こる
気持ちや
考えや
行動って・・・

何かの枠や決まりごとに縛られている自分。
はいないだろうか・・・

ちょっと そんなこんなを感じました。

だからといって、いつも言うことですけど
その本人だけが悪いわけではないんですよ^^

ただ、あなた自身が癒されていない…

ってことなんじゃないかしら?

教えてよ、分からない。
その癒しって何なん?
って声が聞こえてきそうですね。

そして、実は
自分は一体何が分かっていて
何が分かっていないのかさえも
分からないでいるのかもしれませんね。

本当は
子どもと向き合う
人と向き合うって
どういう事なん?
誰か一から教えてくれっ!

それが分かったら どういう感覚になるん?

そしたら
何が分かって
何が変わって
何が起きて
何ができるようになるん?

それを先に知りたいのかもしれません…

恐怖と戦いながらの前進は
暗闇のトンネルの中を歩き続けるようなものだから
事前にどうなるか知っておきたいんですよね。


残念ながら、それはお答えできないんですよ。

個々それぞれ得るものは違うのですから…

でも、必ず何かは得られるとは思います。

あなたが得るものは あなたが選べるわけですからね…

 

本日のアメブロ記事・・・

 傷の一つ、さらし者について。



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