痛い光景…虐待は子どもは勿論ですが親の救済も必須です!!

アメブロ過去記事11月22日投稿記事より…

 

今日の記事は2012年12月13日に投稿された記事を
か・な・り・加筆修正して再投稿したものです。




時々見かける「痛い光景」


大人が子どもを人前で大きな声で怒鳴り
さらし者にしているかのような光景。


これは痛いです。

ふじたは 見たくないと思ってしまいます。

まるで自分が、その子どもになって
さらし者になってるような感覚に陥ります。


勿論それは私の中にある問題ですが・・・^^;

でも、この時、さらし者にしている、その大人も
実は傷ついていると思うのです・・・



それは、

虐待をされている子どもの救済は勿論ですが
実は、虐待をしてしまっている 
その子どもの親も救済しないと
いけないということです。


私は幼いころ、逃げ場として
よく母方の叔父の家に
お泊りをしに行っていました。


もう、今はこの叔父も亡くなってしまい
いないのだけれど・・・


この叔父の娘が中学に入学して しばらくのころ 
いわゆる非行の道へ走りかけた時期がありました。


この時のことを叔父は私に話してくれたのです。

娘を非行に走らせたくなくて必死だったのでしょう…

ある日、娘を初めて平手打ちしたそうです。

その話をしてくれたとき、叔父は、
ジッ…っと平手打ちした方の我が手を見つめながら、

涙声でこう言ったのです。

「ちぃ…(私の呼び名です)
親はなぁ 大事やから殴るねん。
せやけどな、俺の手も痛かった…そしたらな
”あぁ、娘も痛かったやろうなぁ…”
そう思うねん…」

(大事だから殴る。この言い方は恐らく違うでしょう。
でも、ほかの表現方法が見当たらなかったんだと思います。
正直に言うならば…私の想像ですが…

娘を非行に走らせ世間から色々言われるのが嫌だった。
娘が世間からレッテルを貼られるのが嫌だった。

そして、自分もね…
これが世間のいらん抑圧ってやつよね…

非行に走るには、理由がある。
その理由はなんだったんでしょうね…
私から見る限りは 
ふじたの家よりはるかに居心地がよい家だったけれど
それは、私からの主観であり
見えない部分だって あるんだもんね…)


この当時、私は高校生だったと思います。

あの時は叔父の気持ちは
きっと複雑だったんだと思います。



あの方法しか あの瞬間は 思いつかなくて、

受けていないものを考え付くことができず、
他にもっといい方法があったのではないかと
自分自身を責め、
傷ついていたのだと思います。

親にもサポートが必要です。

親も、傷つきながら踏ん張って生きています。

親のサポートをすることは
子どもへのサポートにつながります。


親にやさしい世の中であってほしいですね…

 

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