答えなんてないよね・・・^^ 2

アメブロ過去記事11月28日投稿記事より…

 

今日のブログは2012年12月18日に投稿した記事を後半加筆修正し再投稿です。

今日から三者懇談が始まったので
子どもたちが今、帰宅しました。(午前10時30分現在)

中一の娘と中三の息子が突然何の話からか
「浦島太郎」のその後の人生…について
太宰治はどう お話の続きを綴ったか・・・
という話を私にしてくれました。

ちょっと、面白かったので 
ここで話させてくださいね。

浦島太郎は竜宮城から帰ってきて
玉手箱を開けてしまいました。
そして タチマチ シラガノ オジイサン
これで、浦島太郎のお話は終わりです。
そこで、皆さんはどう思うでしょうか?

「馬鹿だ」「かわいそうに」「気の毒だ」
などと思いますか?

しかし太宰治はこう話を綴りました。

御爺さんはそれから10年
幸福な老人として生きました。・・・と。
その根拠は。

年月は人間の救いである。
忘却は人間の救いである。

というものから来ているようです。

娘曰く・・・人のことを勝手に可哀想だとか思うのは
その人に対して失礼だし、不幸かどうかは
その人が決めることだと改めて思った。

息子曰く・・・人はよく年を取るのが嫌だとか
忘れることを避ける。
けど、太宰さんは、生きてる中で
沢山のものを積み重ね
それが年を取るごとに
新たな見解を重ねることにより
人間という者がより深く魅力的になるということを
感じていたのかなぁ・・・と思う。

「お伽草紙」太宰治 新潮文庫

を二人が最近読んで知ったらしく教えてくれました。
同じ内容でも、読む人、見た人
それぞれで感じ方がこんなにも違うんですね。
それでOKなんですよね。^^

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ふじたは、去年の12月
こんな会話を交わしたことをブログに投稿したおかげで
ハッキリ覚えております。

時々ブログで くり返し書く一つに
「かわいそう」 という言葉。

かわいそうか どうかは 
周りが勝手に決めるものじゃない。

本人が決めること。

これを一番最初に思ったのは
夫と結婚し子どもを亡くしたとき…

…いいえ、違います。


息子が胸の手術を受けたとき
「かわいそうになぁ~・・・」

という周りからの言葉から気づかせてもらえました。

(当時のふじたは自分に対して世間が
子どもを亡くして気の毒に…と言われても
気がつけなかったのに、自分の子どもが言われると 
反応するっていうね…
この意味お分かりですよね…^^;)

その後も、転勤族ですから
親の都合で子どもたちは転校を余儀なくさせられるから

「かわいそうになぁ~・・・」


息子が中学三年生になる直前の3月になって
夫に転勤の辞令が出て 家族会議をした結果
子どもたちは一緒に行くと言ったものの
夫が最終的に判断し、単身赴任になり

「男の子にとって思春期で
これから父親が必要になるって時に・・・
かわいそうになぁ~・・・」

うちは、どうやら 

かわいそうな気の毒な家族に周りがしたいようです^^;


お気持ちはとても嬉しいのですが
(いえ、それほど嬉しくもないかも^^;)
そう思うのは、その人の自由ではありますが
それって 誰の気持ちなんでしょうね…って話で…

他人の気持ちと自分の気持ちが
一体化してるというか・・・

そこにボーダーがないというか・・・

他者の問題なのに自分の問題化してるというか・・・

あああ、もうこんなことは言わずとも 
よくご存知ですよね。

これが、親子でも よく起こってしまう。

自分の子どもの問題を
子どもが自力で解決しようとする前に
親が解決してしまう。

経験を奪ってしまう。

これは、ありがた迷惑ってもんですね。

かわいそうの反対に 幸せそうに見える・・・
っていうのも同じように起きますね。

あの人は裕福な人でお金に苦労していないから
幸せやわさ~ なんてね。

人のことを勝手に決め付けて
 
だから あなたは○○な人ね。

・・・は かえってその人を
傷つけることにも なりかねません。


他者に対しての決め付けは失礼だし
経験は大切ですね。

今日は、息子が言う「経験」について…



娘が言う「決めつけ」について

書いてみました。


まぁ、ここで改めて言う事でもないのですけれどね…

なぜなら、

あなたは もう こんなことは既に 
よくご存知でしょうから^^…

 

 

アメブロ過去記事…

 

聴き方一つ、うなずき方一つ、そのタイミングがコントロールにもなったりして^^;