親も子も、自分の傷も相手の傷も大事にしたいものです…

アメブロ過去記事11月30日投稿記事より…

 

毎週日曜日午前2時28分から2時58分
(時間変動有り)
「物語シリーズ セカンドシーズン」MBS毎日放送

今日のブログは、ややこしくなりそうです^^;

べっぴん娘が期末テストが終わり
気分はパラダイスになって
撮りためていたアニメを セッセと観始めた。

偶然その時に同じリビングで
パソコンの中身を整理していた ふじたは
一緒に このアニメを見始めてしまい
ドップリはまってしまいました^^;


深夜番組なので 恐らくメジャーではなく
よくこんなの見つけて録ってたなと感心しつつ

「いつから観てるの?」 って聞くと

「ん?小6の時からかな、でもあの時は
このアニメの会話の意味が全く理解できなかったけど
今は分かるようになったから 面白いなって思って…」

べっぴん娘が普段どんなテレビを観てるか 
あまり気にしていなかったんですけど…
確かに結構ビデオ録ってるな…とは思ってたけど…
こんなの観てたのね・・・^^;

(後から聞いたら、夫が奈良に来た頃に 
どんなアニメかも分からずに
子どもたちに録っていたらしく
「気に入ったら観たらえんちゃう?」
と言ってたらしい。)

これ、アニメ自体 あまり動きがないんです。
どっちかって言うと会話重視。

この会話が深い。

今回観たのは「詐欺を依頼する」内容で
依頼している側は騙してもらいたい相手がいて
その人を騙してもらわないと
「自分と恋人が殺される」 というもの。

依頼された側(詐欺師)は、どんな相手でも
騙すことは可能なのだけれど・・・
依頼してきた人と過去に色々あって
詐欺師にとっては大嫌いな相手で
更に その恋人も大嫌い。

なのに、なぜ
コイツラヲ助けなければいけないんだ。

…と、自問自答を繰り返す。

しかも、本人は気がついてるかどうか知らないけれど
助ける方向で助けるための正当な理由を探し続ける。

(ちなみに助けることによって詐欺師が得るものは
詐欺師にしか分からないのですが…)

ここからは詐欺師が自問自答した場面を
分かりやすく書いたものです。

依頼人のことは大嫌いだけれど
過去に依頼人を騙したことがある。
その「償いとして」 助ける…というのはどうだ? 

NOだ。

かつてのライバルたちが
「無様に殺されるのを
見ていられないから」 助ける。
…というのはどうだ? 

NOだ。
なぜならヘタをすれば俺はスっとしてしまうだろう。

依頼人の恋人の妹をかつて虐めたことがあった…
個人情報も金欲しさに売ったこともあった。
その「お礼として」 助ける
…という気持ちは俺にはあるか? 

NOだ。 
たとえ お釣りがあったとしても
俺が上げる見返りが大きすぎる。
ここに来るまでの交通費もかかっている。
割に合わない。

俺に頼みにくるまでに
依頼人のためにボランティアで
助けようとした友人がいたようだが… 
その友人に対して心を打たれ
「無償で俺も助けてやる」…というのはどうだ? 

NOだ 
・・・うむ・・・やはり理由が見つからない・・・
なんの得にもならないどころか
損にしかならない。


(ここで、詐欺師は あるところに目をつける。)


そういえば
自分の先輩の姪っ子と
依頼人 
依頼人の恋人 …の3名が
仲がいいことを思い出す。

かつて 「お世話になった先輩の姪っ子」が
この二人(依頼人と その恋人)
が亡くなったら、どんな気持ちになるか・・・


そこを思ったとき
「先輩の姪っ子のため」に助けることが
俺にはできるか?・・・

YESだ!!




ここで今回の話は終わります。


この自問自答している場面は
ホントにドキドキしましたね。


ふじたが思ったことは・・・

本当は助けたいと思ってる。
でも、素直に そこに行けない自分がいる。

だから、なにかしらの正当な理由をつけて
堂々と助けられる自分にしようとする。

小っ恥ずかしく
正義の味方のヒーローは やりたくない。

…と詐欺師を ふじたは見たのですが…


実際は、このアニメをずっとみてきた人なら
こうは捉えない人もいるようで…

この、詐欺師について
別の見方をする人もいるようで…

べっぴん娘も、イケメン息子も 
ずっと見てきてるからか、そうは捉えないんですね。

この詐欺師が軸としている価値とか、考え方
知っているからね。


ただ、ここで子ども達から言われたことは

行為そのものは理由がどうであれ変わらない。

ということ。

相手が自分の利益のために
行った行為であったとしても
「助けられた」  ことに なんの変わりもないのです。

そこに 「相手の理由なんか関係ない」
…と言うんですね。

(これは「子育てとは、何を目的、目標に?
のブログの中にある
「どんな理由があろうとも
このやり方を行うことで
子ども自身が感じること あるわけで…」

の部分とリンクする。
そのやり方にどんな理由があっても
親が子どもに対して行った行為、現象は
後になって分かることがあったとしても
その瞬間は 分からないし
現象そのものは変わらないのだ。)

そして、私が感じたことについても

この断片を見て自分が 
そう感じたのであれば それでいいんだよ。 
感じるのは感じる人の自由なんだから。




これについても、偶然にも昨日のブログで書いた
「泣き虫ハァちゃん」 の部分とリンクします。


感じることは誰もに平等に与えられた自由である。


そこには誰からのジャッジも介入する権利もない。

自分だけのものである。


それは、もし、誰かの言葉で傷ついた人が居たとして
その傷付いた人に

「何、そんなことで泣いてるの?」

って言う権利は誰にも ない。
・・・ということなのかもしれませんね。

いえいえ、そうなんでしょうよ・・・

ちょっとウダウダ書きすぎちゃいました!!


親も、子も、
相手の傷も 自分の傷も
大事にしたいものですね…

やっぱり ややこしくなってしまいましたね^^;

本日のアメブロ記事・・・

自分を責める癖がある あなたへ・・・