人権月間。ラジオから中学生の作文を聞いて。「障がい者だって幸せ」っていうお題だったかな?^^;

アメブロ過去記事12月4日投稿記事より・・・

 

障がい者?健常者? よぉ~わからへんわぁ・・・

以前こんな記事を書きました。


ふじたは毎朝、ラジオを聞きながら
家事をしているのですが 今朝7時台のラジオでは
12月は人権月間とかで 中学生が書いた作文を
読み上げてくれています。

そう言えば 
べっぴん娘も夏休みの自由課題で出てたような…

今朝の作文は
障がいのある中学生の女の子が書いた作文でした。

彼女は生まれつき右手が付け根から短いそうです。

自分の障がいについて話すのは
あまり好きではないそうですが
今回作文で書く事を決めたそうです。

以下は 彼女が書いていた内容を
ふじたが記憶している限りの言葉で書いてみますね。


彼女は周りの人から
「かわいそう」 と言われることが
嫌だったといいます。

そして障がいのある人だって
「幸せなんだ」 
とも言っています。

さらに悲しいことだと感じていることがある。

「出生前診断」によって
中絶されてしまう命があること。

「中学生の自分にはわからない
親の苦労はあるだろうな」 
とも分かっている。

でも、少なくとも、自分は生まれつきの
この体に対して、周りのサポートが有り
何よりこの体に生まれたおかげで
出会えた人達があって 

「自分は幸せだ」 

といいます。

自分が何かをやろうとしたとき
周りの人たちは自分が助けを求めるまで
見守ってくれる。
それが何よりありがたい。

そして最後に、障がい者も健常者も
互いが交流できる場を持つことで
理解しあたらいいのに…

と、締めくくっていました。

ふじたの記憶に残っている限りの内容なので
どこかが表現が違っているかもしれませんが
ふじたはこう受け止めました。


かわいそう・・・
誰かを見てかわいそう・・・という人に対して

かわいそう・・・この言葉に反応するのは・・・昨日のブログとコメントから・・・

でも書いたのですが・・・
(長文なので体力?(笑)が要りますが
お時間がある方は読んでみて下さいね^^)


周りが決めつけること ではないですよね・・・


ふじたの場合ですが、転勤族なので 
子どもたちはよく 「かわいそうね」 と言われました。

ここについては「答えなんてないよね・・・^^2
にも書きました。

(今日は内部リンクが多いですね^^;)

何度となく書いてきていることではありますが…

誰かを見て
「かわいそう」 とか
「気の毒に」 とか思うことは
優しさでもあるかもしれませんが、ときに、
言われた人を傷つける
残酷な言葉でも あるかもしれないのです。

自分自身が似たような経験がないことについて
理解したようなことを言うと 
言葉に重みがなくなるから…かもしれません。


これは、障がいのある・ない だけでなく…
ふじたのように転勤族か否か
離婚経験があるか否か。
不倫された側、した側の経験があるか否か。
いじめ経験があるか否か。
愛する人を亡くした経験があるか否か。

もう ちょっと考えただけでも これだけ出てきます。

分からないことについては
分からないと言ってもいい。
むしろその方が 
かえって有難かったりするかもしれない。

そして、それについて知ろうとし
理解しようとしてもいい。

経験がないことについて
触れること・聞くことは 怖いことでしょうけれど

中学生の彼女も 
交流の場を持ち、理解しあえたらいいね…
と、言っていますね。

それは、ホントに困難で難しいこと。

近づけなくさせられてきた刷り込みですね…

それを刷り込みだと理解することから
始めなければいけないかもしれませんね…


最後に、他人のことを
幸せかどうかは

かわいそうな人かどうかは
周りの人間が 決めることではありません。


が、逆に 自分のことを 
幸せかどうか
かわいそうな人かどうかを 決めるのは
自分だということですね。

いくら、この中学生のように
周りにサポートが有り 
暖い注目があったとしても

本人がそれらを受け取れることができなければ
自分を幸せだと思えず
逆に可愛そうで不幸な人だと
自分のことを思ってしまうかもしれません。

一番最初に、その人を、どう周りが受け入れたか。

そして、その後、根気よく どうサポートし続けたか。

このはじめの一歩が大事なのかもしれないね…


本人だけではなく、子どもたちの場合は
周りのサポートが必須でしょうから…

 

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