主張する自由。何も言わずに見守る自由。どっちも間違っちゃいないよね。

アメブロ過去記事1月28日投稿記事より・・・

 

私は此処にいます。

みんな!私を見て!!

私に注目して!!

私の話を聞きなさい!!

私はいつだって正しいんだから!!!!!

今まで沢山経験してきたんだから!!!

誰にも、 負けないんだから!!!




今日は「主張する自由。何も言わずに見守る自由。
どっちも間違っちゃいないよね。」

って話です。


ふじたは お教室で時々本音を聴かせてくれる
子どもたちの話が好きです。

そのお話には もしかしたら
嘘もあるかもしれません。

そのお話には もしかしたら 
ただ単に大人が使っている言葉を真似たくて
正しい意味が分からぬまま
使ってる言葉もあるでしょう。


ですが、ふじたはあえて 
そこで正したり諭したり直すようには
指示を出しません。

その言葉はこういう時に使うんだよ。とか、

その話、ホンマか?うそやろぉ~~~とかね。

こういうことは ふじたは言わない。




梨木香歩さんの本でこんなのがあります。

「西の魔女が死んだ」 新潮文庫 
有名な話ですよね。映画化されましたね。

その最初の部分で母親が単身赴任をしている父親に
「まい」のことについて電話で話しているのを聞く。
その会話の最中 母親の口から まいについて
「扱いにくい子」
「生きにくいタイプの子」
と言う言葉を聞く。

まい は学校へ行けなくなった。
ぜんそくの発作はない。
どうせ感受性の強い子だから
何かで傷ついたんでしょう。
青天の霹靂ね。
しばらく実家の母の所へ預けようと思う。
あそこは空気もいいしね・・・


という内容。


この言葉を聞いて まいは 思う。

ママは私に誇りが持てなくなったのだ。
飛び出して行って「ママごめんね」と言いたいが
「扱いにくい子」
「生きにくいタイプの子」
という言葉が引っ掛かって言いに行けない。

そして でも、それは 本当のことだとも思う。

ここでつぶやく。

「認めざるを得ない。」
「それは求めざるを得ないわ。」 と。



このつぶやいたシーンで彼女はこう感じている。

「この言葉は初めて使う言葉だ。
まいは ちょっと大人になった気がした。



子どもたちは、時には大人になったような気になって
意味がよくわからなくても
使いたい言葉ってあるんだと思います。

そして、それはプロセスでしょうね…


通過点。大人へ?成長していく通り道。

私たち大人も

(っていうか、ふじたにはその実感が
未だにないのですが。。。
ある意味これも重傷な問題(笑))

そいう経験あるんじゃないかなぁ・・・


それは仕事でも言える。

こういう対応がよいと思ってやっていくうちに
いつしか、別の角度からも見れるようになって
そしたら新たな対応の仕方が見えて
進化していく自分が居る…

みたいなね…



どっちにしろ、それでも、人って、その経験をした人は
まだ自分の所に到達できていない人を見ると
人によっては激しく反応することもあるでしょうね・・・



それが自己肯定されてこなかった人なら
なおさらかもしれないし
普段、陰にいる自分を感じている人は
久しぶりに日向に出ると嬉しくなって
激しく主張・反応 してしまう人もいるかもしれません。


そして、そうやって主張してくる人を見て
どう感じるかも こちら側の勝手であり
主張している人も その人の勝手である。


ゆうじさん と 真人さんの言葉を借りるなら
その人の自由」である^^


どっちも間違っちゃいないんだよね。

ただ、自分はどっちを選ぶかってだけでね。



ふじたは、子どもたちに対する自分ていうのを
すごく反応するんですね。

そして、ふじたの場合は

「何も言わずに見守る自分」

を取るんです。

相手を信頼し、分かるときが来るだろう
今はこのまま黙って聴いておこう~~~^^


これも、私の勝手でしょう~~~^^


だって 自由だしぃ~~~

そして、相手も 自由よ。


あ、ちなみに、私、別に 

自由教に入信したわけではないので(笑)~


ってか、そんなもん、はじめからないし(*^▽^*)


今日は「主張する自由。何も言わずに見守る自由。
どっちも間違っちゃいないよね。」

って話しでした!!

伝わったかなぁ~~~
(*^ー^)ノ



 

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