子供たちの意思は 色々な思惑や もくろみに巻き込まれていく…一体それはホントは誰のため?

アメブロ過去記事4月1日投稿記事より…

 

昨日
半年ぶり 一年ぶりの仲間たちと再会し
数日を共に過ごして
充電満タンにした子供たちが帰宅しました。

こちらのブログでも書かせていただいたんですけど
人は大人になると子供時代の気持ちは
記憶から忘れたり無くしたり見えないところへ
葬り去ったりしてしまいます。

とくに辛すぎる過去はね。

だから 

あの時のことを 
実際に体験してるんだけれども
思い出したくない。

…という気持ちが無意識に働いて抑え込んでしまう。
で、分けのわからない
ザワザワした気持ちや
モヤモヤ感で一杯になる。

でも、違和感を感じている。
その違和感が何かわからないから 

知らぬフリをする。

そうすることで 
良い親を演じ 
いい人をし
息苦しさ

いえいえ 

生き苦しさを感じ
メンタルがやられてしまう…




仲間と再会して帰宅すると
二人とも今まで気がつかなかったり 
見えていたけれど見えなくしていたものに
気が付いたりして
新たな発見をし それを 
ふじたに教えてくれたりします。

これは私が仕事をする上でも 
とても参考になる内容で ありがたいんですね。

子供たちが この数日で

何を感じ 
何を得てきたのか 

すべてを ここで出すことはできませんが
話を聞いていて 

あぁ そうだな

って思ったことの一つを
ここでシェアさせてくださいね。





子供って
学校と親から受ける影響が ほとんどだということ。
(今さら言うことではありませんが…)

それによって 実は 
皆と繋がりあいたい と思っていても
繋がれなくさせられていることが
多々あるんだな…

ということでした。

分断については 
今までにも何度かブログで書いてきているのですが
この分断は誰かの もくろみだったりしますよね。

その誰か…に巻き込まれ 
まんまと相手の思う壺にはまっていく。

結果的には それによって何かを得る人が出てくる。

まぁ、教育機関ですので表面上は

「子供たちのため…」

って言いますけど

だったら すべての子供たちのためにあるのか?

っていういと…

どうなの?

っていう想いも出てくる。

だって すべての子供たちが 皆

満足のいく教育を受け
満足のいく成績や
満足のいく身体能力を
学校で身に付けることができるわけじゃない。

だから 

落ちこぼれ 

という単語の生徒が出てくるんですよね。

それは点数や順位や成績や内申点で評価を出し
競争を起こさせることによって出てくる生徒たち。

さらに、これによって分断が発生。

劣等感を感じ こぼれていく…




ちょっと分かりにくいですかね。。。


例えば 
これ以前にも書いてるんですけど…
分断について。


学校というところは
子供たちを いかに
 
いい成績者を生み
いい学校へ進学させることが出来るか。

ここに多くの注目をし
子供たちは常に 数字で評価をされる。

(学校全体のレベルが上がれば 
おのずと学校事態の評価が上がるからね…)

順位、点数、内申点 ですね。

で 例えば 
成績によってクラスを分けられたりね。

アイツはアホ組 
アイツは優等生クラス 

ってね。

で競わせる。
競争ですね。

これを切磋琢磨という単語を使って
美しい姿とし 
それによって皆が上へ上へと上がっていくことで
成績が伸び
進学校への合格切符を一人でも多く取らせること。

これで学校の評価も上がり一石二鳥である。


子供たちのため 

にもなり 
素晴らしい流れが出来あがる。


悪くはない。
本人たちがそれを求め満足しているんであればね。

でも、だったら すべての子供たちの為と言いながら 
落ちこぼれていった人たちはどうするのか?

どこか就職先を見つけ押し込めばいいのか。





そこに 本人の気持ちは聞いたのか。


進学するにしろ
行きたい学校だったんだろうか 本当に…




ちょっと話が飛ぶんですけど若い人は 
ある組織の もくろみに巻き込まれることが
多々ありますよね。

例えば 上の責任だけれども

お前がやったことにしろ。
後々のことは面倒見てやるから…


と言って上の者が若い人に抑圧を与えて話し 
若い人を二度と公の場には わざと出さず
(出さないのではなく 出せない
のですけどね。。。
うっかり本当のことを言われたら困るからね…)
責任逃れする。

または大活躍してきた その若い人を 
引退されプロに転身されると
自分の組織にお金が入らなくなり
搾取できなくなるので
本人を説得し 引退させない。

とかね。



義理人情を切々と話し
自分の意思を尊重できなくさせる。



こうして巻き込まれていくんですよね…




話を戻しますね。


つまりそういうことなんです。

必ず何か もくろみがあって
子供たちがその渦に巻き込まれていく。






いえね、 もちろん 
先に話した アホ組 と 優等生クラス

こんなことは(成績 内申点 順位など) 
当人同士が気にせず 
この数字の評価は自分の評価であり
周りを気にしたり
比較しなければ問題ないんでしょう。




でも、そこに すでに 
誰かと自分を比較し
それによって優劣というジャッジを
誰かによって受け続けていた。

…としたら?

そして常に
誰かによって劣等感を持たされ続けていた。

…としたら?


って話です。


巻き込まれないためには どうしたらいいか。

ここは親の出番でしょうね…


子供本人が

どうしたいと思っていて 
何を考えていて 
何を感じているのかを

それを聞き続けていく。


「話してもいいんだ」

という場を設けていく。


これはとても大事なことですね。



あ、でも、
誤解があるといけないので書きますね。

あのですね
これは先生が悪いんじゃないんですよ。

システムの問題です。

学校の先生で
奮闘しておられる先生は沢山います。

でもね、そういう先生に限って病みます。

そして残念ながら 
辞めていく先生も おられます…


本当に子供たちの気持ちを中心に
聴いて
寄り添って
戦ておられる先生も 実際におられるんですよ。

でも
組織が
システムが
どれだけ頑張っても頑張っても
彼らに無力感を与え続けてしまうのです…

組織にいるということは 
そういうことでもあるんですね…


今日は

「子供たちの意思は 色々な思惑や もくろみに
巻き込まれていく…
一体それはホントは誰のため?」

って話でした^^


組織にいても信念を貫いたり
本来の自分で居る 

ということは

本当に困難なこと…ですよね…

そして子供たちも 
勝手につけられる自分へのジャッジに対して 
気にすることなく 

本来の自分で居る

ということは 困難なこと。


両者ともに

サポートが必須ではないだろうか…



上手くまとめられませんでした(^^ゞ

伝わったかなぁ…





 

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