「期待しているよ」「結果を楽しみにしているよ」この言葉は「邪」です。 出た!「邪」(笑)

アメブロ過去記事4月3日投稿記事より…

 

本日のブログは恐らく

理解不能

…って感じる方が多いかもしれません。

それでも あえて 反発覚悟で書きますね。


「期待しているよ」

「結果を楽しみにしているよ」

この言葉は 「邪」 です。


ふじたさん、何言ってるんですか?

期待されない子供は不幸でしょう?

(不幸とまでは言わずとも…)


確かに期待されていない子供は

見捨てられている

と感じるかも知れない。


だけども

「期待しているよ」 

「結果を楽しみにしているよ」

この言葉は 子供たち、若い人たち にとっては
ヤル気を逆に損ねる言葉に変わります。

この言葉は 子供たちにとって ある意味

「できることが前提」 であり
「いい結果を求められている」 ということであり
「いい結果を出せなかったら
見捨てられる 見放される」 と感じることであり

これが
「プレッシャー」 になり
気持ちがなえて
「やる気がなくなる」 んですね。




勿論ね、「あなたは 家族の期待の星よ^^」


って言われた最初の頃は 
とても嬉しいと感じるかもしれない。

それだけ自分は親から頼りにされていると感じ
その期待に応えたいと…

だって 親の喜ぶ顔が見たいもんね。

親が喜べば褒めてもらえるから。


でも、その時点で その子供の人生は 
自分の人生を歩けなくさせられている

に等しい。

歩けなくさせられた人は 
常に他人のために生きることで
自分の価値を見出す癖が付く。

そしたら、今度は
その癖が少しずつ少しずつ
自分をないがしろにしている事実を覆い隠し
感じないように生きる分 

怒りを ため込んでいきます。

そして ため込んだ怒りが あふれてきたとき
処理する場所が必要になるのに
その場所が見つからず

結果的にメンタルを壊すか
体を壊すか
自分より弱い身内(子供)にぶつけることで

生き延びようとする。




分かりにくいですかね…

例えば


ある生徒がリーダシップをしたいと思っていないのに
やる羽目になったとします。

人は、皆が皆 リーダーシップを取ることを
やりたがるわけじゃないんですよ。

どっちかっていうと 脚光浴びるより
そのリーダーのサポートの方が好きだったりする。

黒子 の役割ですね。

そこには 責任を取りたくないっ

ていう自分が居るかもしれませんが
それは今は横へ置いておいて…


でも、何らかの事情や流れから黒子ではなく
「リーダー」
をやらされる羽目になってしまった時…

ものすごく本人は困惑しています。

そこへ
「期待してるからね」
「どんな風にまとめてくれるか
楽しみにしてるね」

って言われたら…



撃沈してしまいます。


この言葉は実は抑圧でもあります。



実際に ふじたが クローズで
10代のしゃべり場をやった時

「なぜ 大人たちは すぐに自分たちに
過度な期待をかけてくるんだ」

と言う言葉も聞かれました。

例え
”自ら志願して”
任されることになったとしても…

「あなたの将来に期待してるから
今日は あなたが どんな風に演出するか
それを見に来たの」

って言われたとき

「試してんのか?」

と怒りが湧いたと言います。

これは、サポートではない。

試してるんです。

ある意味 嫌がらせにもなり得ます。


大人は直ぐに試したがる。

どこまで 分かっているのか
どこまで できるのか。


いつも、いつも、学校で自分への評価を
数字ではじかれて 試されているのに
プライベートでも試される。

試験続きである。



でも、大人たちはね 追い込んでいるつもりもなければ
プレッシャー掛けてるつもりもなければ
抑圧かけてるつもりもないし
嫌がらせをしているつもりも…

ないんですよね…




ここで、子供と大人の温度差が出て 子供たちは

「この大人、自分の味方ではない」

と嗅ぎ取ってしまい、話さなくなります。

大人は 子供たちの味方でいるつもりで
声をかけているのに
自分に話さなくなった子供を見て

腹を立てます。

何で近寄ってこないんだと…




もし、子供たちが 
自分の周りに集まってこなくなったと感じたら
少し立ち返ってみるといい。


それって 案外 自分の中にある問題と
リンクしたりしてるかもしれません。


これが子供にとって

「いいことだ」

という刷り込みはないか。

自分が受けたものは何だったか…




今日も分かり辛かったかもですね…



自分と向き合っていくと
子供たちから上記のような言葉が
出てくるように なるかもしれません。

10代のしゃべり場は
クライアントさんの お子さんがほとんどで
最初の頃は子供たちから
こんな言葉は出てこなくて

期待されている自分って 
愛されている

と勘違いしてました。

(勘違いって書くと ちょっと微妙ですけどね…
親は親で一生懸命 子供の味方でいようと
            してるんですからね…)


でも、向き合っていくうちに それは違うよね…


と思い始め 気が付いていきます。


向き合うってことは 
それだけエネルギーも使いますけどね
でも
その裏のメッセージを
感じれるようになるということは
抑え込んでいた感情
麻痺させていた感情を
感じれるようになった

ということでもあり 

進歩でもあります。

それは
自分自身へ麻酔をバンバン打って 
打ちすぎて仮死状態になっていた自分を蘇生し
蘇らせる作業でもあります。

あなたの中に 思い込みはないですか?

それを少しずつひも解いていくと 
一本の線で繋がっていくかもしれませんね…



今日は

「「期待しているよ」「結果を楽しみにしているよ」
この言葉は「邪」です。」

についてでした。


サポート。

難しいね。

でも、分かってくると次々見えてくるもんです…


あきらめないで…

そして

これは
あなた自身の人生も取り戻す作業にも
繋がるのですから…


 

 

 

本日のアメブロ記事…

 その想い…痛いかもしれません。それって 愛情か?違うよね?


ふじたカウンセリングfacebook  良かったら遊びにいらしてくださいね^^