知らないと寄り添うことも共感することも出来ないんですよ。親子でも夫婦でも言えるよね。

アメブロ過去記事10月7日投稿記事より…

「知らないと寄り添うことも共感することも
出来ないんですよ。親子でも言えるよね。」

その人は 女性です。
その人は よだれをたらします。
その人は 自分で歩くことが出来ません。
その人は 自分でご飯を食べることもできません。
その人は お話しすることもできません。
その人は 何を言ってるのかも
       こちらには分かりません。
その人は 自分で排泄することも出来ません。

どなたか この方の面倒、
     お世話をしてくださる方いませんか?

時間は2時間でもいいです。

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私が 保育士の資格と
幼稚園教諭の免許を取るために
学校へ行っていた頃
ある教授がこんなことを
別の大学で学生に話したそうです。

誰一人
率先して手をあげる者など居なかった。


そのシーンと静まりかえった講義室で、教授は

「その女性はこの人です。」

と大きく引き伸ばした
その女性の姿の写真を黒板に張り付けた。










一斉に学生たちが声をあげた。







「きゃ~~~
かわいい~~~~!」

(何でや!!
…なんてここでは言わない(笑))



その女性とは、
教授の生まれたばかりの
女の子の赤ちゃんでした。








「ベンジャミンの数奇な人生」

って映画ご存じです?

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本もあるね…
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人は生まれたとき
誰かの手を借りないと生きてはいけない。

そして年を取ると、これまた
誰かの手を借りないと生きていけなくなる。



ベンジャミンは生まれた時80歳で生まれ
年を取るごとに若返っていく…


年老いた姿でもやることは子供と同じ^^;



なんか、数奇な人生って言ってるけどさ、
これマンマじゃんって思った。


現実もそうじゃん。


痴呆になると 幼少期に抑えていたものが
出やすくなると聞く。

いかに、自分を抑えて生きてきたかと言うところに
強く反応が出る。


ベンジャミンは反対から人生を始めた。
遡って人生を生き
生まれた日に死ぬ。


教授の赤ちゃんだと分からない時点では
誰も手をあげなかった…



(ちょっと思い出して書いちゃった(^.^)
何処かとリンクしたんだろうね、私の頭の中で。
ちょっと話が横道行ってしまったので軌道修正…)




大学の学生たちは
どうして誰も最初、手をあげんかったんでしょう…




これ、どうします?


どう答えます?




そして
自分も
自分の子供も
手をあげる。

って言えます?




はい、ふじたは意地悪なんで…




ふじたは 最初写真を見せる所の話に行くまでは
教授は学生たちを試している…


って感じました^^;

試されることが嫌いなふじたは
匂ってしまったんですね…



でも、それを取り去れば
「障害のある女性。またはお年寄り。」
っていう前提が来ます。

性別を 女の ではなく 女
…と言ってるんですからね…




そして、ふじたは

「無理~~~じぇったい無理~~~」


って思いました。


これ正直な感想です。


当時ふじたは18歳ですよ。


いくら良い子をしてきたとしても
近づけない自分を感じました。



小学校時代「特殊学級」って言うのがあった。

あの当時完全に隔離されていたクラス。


私等は一緒に過ごす時間などなかった。




べっぴん娘は今年の夏
単独でアメリカへ行くはずでしたが
実は車いすの障害のある女性と
東京の成田空港で待ち合わせをして
一緒に行くことになった。

これまた成り行きで^^

障害のある人との関わりが
小学校のころからあるべっぴん娘は

何の躊躇もない。

気負いもない。

緊張もない。




ように見える…いえ、実際ないらしい…^^;





私がここで言いたいことは

自分の生活の日常の中に
当たり前のようにその風景があったなら
違和感もないんだろうなと言うことです。


これは反対側を言えば、
虐待を受け続けてきた子供は
それが虐待だったと知るまでに
時間がかかる。

それと似てる。


日常でその風景があったら
ふじたもあの時何でもないかのように
手を挙げたんだろうかと思う。


ベットからトイレに連れていくまでに
介助者が自分の腰に
負担がかからない起こし方を学んだ時
学ぶ前と学んだ後では
介護される人と向き合う時の自分が
全く別人だったのを覚えています。


知らないから、怖いのです。


知らないから、近づけないのです。


それは、話が飛ぶけれど

クライアントさんが自分と向き合う時の恐さを
カウンセラーが知らなければ
クライアントさんに対して
その怖さや辛さを共に感じようもないし
寄り添いようもないように…



今日は

「知らないと寄り添うことも共感することも
出来ないんですよ。親子でも言えるよね。」

ってお話しでした。


親は大人になると
子供時代に受けた傷を見ないようにする。


見ると思い出して

怒りを感じたり
苦しくなったり
情けなくなったりするからね…



でも、本当は知ってるよね?

あの屈辱。

あの悔しさ。

あの惨めさ。



それを悔しいからって子供に返すのではなく
自分の問題であることに気付くことで
そこを癒して
別の対応が自信をもって出来るようになる。


出来ないのは

自信がないから。

分からないから。

恐いから。

(知らない ってことを
ここで 知ることになる。)



人は毎日、本当は少しずつ前進してるんですね^^



本日のアメブロ記事…

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