嫌いな人が居てはいけないのか? たらねばならぬ…人として? 親も子も巻き込まれたらダメよ。

本日のアメブロ記事11月1日投稿記事より…

「嫌いな人が居てはいけないのか?
たらねばならぬ…人として?
親も子も巻き込まれたらダメよ。」


たらねばならぬ…何事も…



痛いね…



「先生…嫌いな人がおるって悪いこと?」


「何でや?」

こんな質問が来たらなんて答えましょうか・・・^^

「だってな、嫌いな人がいるっていうことは、
人としてダメな人。
っていうか…うちのクラスへんやねん…」


彼女はどうやら、
正直に自分が感じるままに感じようとして、
でも、何らかの抑圧がかかって
それはダメなんかな?っと
不安に感じているようです。


「人は完璧やないやろ?
誰だって好きな人もおれば嫌いやと感じる人もおる。
それってごく自然なこととちゃうか?」


「!やんな?せやんな?
あたしおかしないやんな!」


「いや、、、それは。。。知らんけど!(^^)!」



「ええ~~~!!」



「嘘やん!^^」



「もう!」






揺らぎますよねぇ~~



嫌いな人がいる。


当たり前でしょう。



もし、完璧な人であれば、
万人を愛せ、万人を好きでしょうね…
って思うのは ふじただけかしらね…




誰でも過去に傷を受けていて、


例えばウジウジした時期が過去にあったなら、
ウジウジした人を見ると、
あの過去を思い出し
あの頃の自分は好きではなかったので、
まるで今目の前に居るウジウジした野郎は
過去の自分を見ているようで
腹が立ち

嫌いだ…

となる。


つまり 鏡ですな^^
自分の傷から来る感情ですね。
無傷な人は居ないからね、
嫌いだと感じる人がいるのは
ごく自然なことじゃないかなぁ~?



この構図で
ちょっと似てるのが苛めですね。





苛めている人は苛めの対象の人に
何らかの反応をしている状態でしょ。



で、その一人の人に
皆が自分の傷を垣間見て集団で苛める。


集団パターンですね。


これ一つじゃないけどね。
苛めの問題は…






「うちのクラスへんやねん…」



「何が?」





たらねばならぬ



の塊の人が多いということです。



例えば


「お父さんウザいから嫌い。」
(世の父親方、お許しを、
そういう時期もあるってもんです^^;)

「おばーちゃん 小煩いねん…」




そう口走ると

「何言うてんの!そんなこと言うたらアカンやん!
罰当たんで!信じられへんわぁ~~~」

(罰かいな^^;)



嫌い、小煩い。

言うたらダメですかね…^^;




先日ね、ふじたは自分の誕生月だったので
夫が食事に連れてってくれたんですけどね…

子供達は
「俺らはええわ。
適当に自分らで飯作ってやってるから、
二人で行ってきたら?」

って言うんで…
大阪まで夫と二人で行って
食事してきたんですけどね…


この話を聞いたある方はこう言いましたよ。

「お母さんの誕生日祝いなんだから、
家族そろって行かなきゃダメでしょう。」




ここ、首かしげちゃうんですね…


(過去のふじたなら子供達祝ってくれないのか…

って思ったかもしれませんけどね…)





これも たらねばならぬ ですよね?




そんな決まりはないわけで…



ふじたは親に対して
生んでもらったことに感謝できるようになり

自分の誕生日には皆に祝ってもらうのではなく
(勿論お祝いしていただけるのは嬉しいですよ^^)

「4●年前に産んでくれてありがとう」

って言えるようになったのも、

40代になってからですよ。

誕生日は感謝する日だと
思えるようになったのが40代です(笑)



誕生日は祝ってもらうもの。

てな決まりはないし、


逆に感謝するもの。

って決まりもない。




自分が感じることに
行動を起こせばよいわけで…



そこへ誰かを巻きこんで
押し付けたりするのも

どうかな?

と思うんですよね。


ようは、自分はどうしたいのか、

何を感じているのか…


ここに尽きるんですね。


で、ここ、出来てるか否かで、

たらねばならぬ


が発動する頻度が変わってくる。




ガチガチの人、はそれだけ
多くの たらねばならぬ をお持ちでしょうし

ゆるゆるの人は、それだけ
少ない頻度でしか 出てこないでしょうしね…



今日は
「嫌いな人が居てはいけないのか?
たらねばならぬ…人として?
親も子も巻き込まれたらダメよ。」

って話でした。


だからね、
親子関係で
子供とうまく接することが出来ないって意味
伝わりましたかね…

 


 

 


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