2015年

1月

28日

「自由な親子・夫婦関係」 ってどんな関係でしょ?

本日のアメブロ記事・・・

「自由な親子・夫婦関係」 ってどんな関係でしょ?」

ちょっとややこしい話をします。
なので、途中ふじたさん、何が言いたいの?

って分からなくなるかもしれませんが、
お付き合いいただける方宜しくお願いしますm(__)m

若い人、10代の人から私はいつも
貴重な体験や気付きを頂きます。

(この部分については
次回大きく触れていきたいと思っています。)

それは、多分、
いえいえ、絶対どの人も同じだと思うのです。

忘れかけていた感情や想いを思い出させてくれる。

でもね、その10代の若い人にも、

「自分の感情に責任を持ち
その感情を言語化し
大人に伝える」

というとても困難な作業が
日常サラリと出来る状況でなければ、・・・

私等大人という立場の人間には
伝えることができない。

ということでもあります。




私等大人は日常、

僕の(私の)心は少年のまま・・・

なんて口では言ってたって
実際は「少年のままではない」のです。


置き去りにしている感情が沢山あります。

それは、人によっては恐らく
意図的に置き去りにしている方も
おられるでしょう。


それを持ち歩くことで

自分自身が守れなくなる、
しんどくなる・・・

そういう場合は無かったことにすることで
見ないで済ませます。

その方が楽だからね・・・


でもね、ある日とんでもない若い人から
その見ないで済ませてきたものを

「お前、これ、持ってたろ?
どこへ置いてきたんだよ?
持ってたろ?
持ってたのに置いてきたから
私等の気持ちを分かれないだろ?」

そう突きつけられてしまいます。




前置き長いね。

はい、その置き去りにしてきたもの。



「自由」です。


今日、明日はこれが大きな柱になります。





ふじたは、この2月から4月末にかけて
ちょっと個人的にやろうと決めたことがあるんです。

でも、決めるまでにかなり揺れました。

今、ふじたのべっぴん娘は受験生で
できれば母親として傍に私が付いていたい時期。

その時期に離れる時間が多くなる。


ここで、ちょっと「自由でない自分」を勝手に感じる。


ここ数年、自分はかなり
「自分を自分で縛りつけていた鎖」や
「たらねばならぬ」を
手放して来たにも拘らず…

今回の件はかなりデカい。

ちょっとニ三日東京府中へ行ってくるわ!

ってわけではなく、二か月半という長い時間を
私のやりたいことをするために
かなり子供たちに負担がかかるわけです。

それでも、最終的に子供たちからの後押しもあって
「やる」
と決めました。


この時 思ったのは

「決めるのは私」

ということです。



ここまで読んできたらね
母親として。。
妻として。。。
どうなん?
それふじたさん。

って声も聞こえそうですよね。


ここで、大事なのが相手と自分の了解ですよね。


世間的にどうのとか関係ないんですよね。


まず、私がそのやりたいことをするにあたって
子供たちからは色々要望が出るわけです。

その要望を一緒に詰めていく。

で、互いが一致了解です。



人は一人で何でもできるわけじゃないんです。

自分のやりたいことをするために
勿論周りに影響が出ることもあるんです。
その時、自分が「自由」を感じていられたら
相手の「自由」も了解できます。

そして、手と手を取り合えもします。


でもね、自分自身が好きなことをするにあたって
良く浮上する感情が「罪悪感」です。


以前、夫とこんな話をしたことがあります。
夫はもう記憶にないかもしれませんが・・・

「俺はあの当時一流企業に就職できて安泰や思った。
でも、その人生もアリやけど
出来れば子供たちには好きなことして生きてほしい。
自分の人生や。それをやって生きてって欲しい。」

「せやなぁ~。でもな、時々思うんやけど、
私も好きな仕事させてもらってるやん?
出たい勉強会に出て、
好きに自分の稼いだお金使わせてもらっとるやん?
それ、申し訳ないなぁ~~思うわ。」

「ええやないかぁ~~~好きな事したらええねん!」

「ありがとう^^
じゃぁ、自分も何か好きなこと
やりたいこと見つかったら言うてや!
協力するで^^」

そう言うと、夫はこう返した。

「やってるやってる!
昨日も飲みに行ってきたし^^」


「え??・・・・・・・そこ?」(笑)


私は本当に恵まれている。
恵まれすぎているとも思います。

こんなにできた夫は居ない。
ありがたいです。




ですが、
これは、夫の究極の
「自己犠牲」
かもしれません。


自分はサラリーマンで家族を養うためだけに働き
そしてそれぞれが何か好きなことを見つけて
生きてくれるために働き続ける。


でもね、もしかしたら、これも、
夫の「自由の一つ」
なのかもしれません。


「それで満足だ。」


ということです。


「自由」って言うのは
本当はとてもややこしく難しい。

都合がいいように受け取りかねない言葉
でもあるのです。


必ずしも自分から見てどうのこうのじゃないんです。

それは相手の感情だからね。。。



それとは裏腹に

此処でふじたが感じる「罪悪感」だって
どこかで入れ込まれ刷り込まれた感情です。

それを理解し、気付き、知った上で

「自分の自由」

を考えた時

「本当に自分がしたいこと」

が見えてくる。


夫に対して「自己犠牲」だと感じたとしても
それも私の中でどこかとリンクして
ダウンロードされたものであり、
本当は夫がどう思ってるかは謎なんですよ。


それでも、それが「自己犠牲」が真実だったとしても
私等は「夫のプロセス」を信じて
夫が本当にやりたいことが見つかるのを
待つだけなんですね。


今日は
相手の自由と自分の自由について
書いたんですけど
次回はゆうじさん真人さん のトーク対決ででた
質問の中から一つ引っ張り出して

「それでも、自由を感じられない若い人の苦しみ」

について書いてみたいと思います。



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