2015年

6月

11日

大人(親)が子供をからかうデリカシーの無さ。悩みに深いも浅いも重いも軽いもない。それ、失礼やろ?

「大人(親)が子供をからかうデリカシーの無さ。
悩みに深いも浅いも重いも軽いもない。
それ、失礼やろ?」

 

⇧本日のアメブロ記事…


(今日は えぐります。
かなりサクッと えぐります。)

 

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
梨木果歩/理論社

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べっぴん娘が高校受験に合格したころ、
久々に中国地方の恩師に
報告がてら声も聴きたくて電話した。

元気そうな声に思わず、うかつにも

「先生!!お元気ですか?!」

と聞いてしまう。

大病をしたのだから そんなわけがない。。。

一瞬の間があって

「うん、まぁ、多分大丈夫。」


(^_^;)・・・ですよね・・・  心のなかで、

「ああしまった。。。」

と、、、ちょっと後悔する。

私のなかで
恩師にはずっと元気で居て欲しい。
という願いを届けてしまうんですね。
受け取れないですよね~
だって年は行くんだし・・・


久々にイケメン息子も
べっぴん娘も先生とお話する。

彼らが小学校時代
毎週一回
夜一時間ほど話し相手をしてもらっていた
あの時期を思い出す。

転勤で中国地方から東北へ
お引っ越ししてから約5年。

毎週一回の夜の楽しみでした。

子供たちが誰かと ”群れる” ことで
安心したりせず
自分の時間を大事にしていること。

そこに、とても喜んでくださいました。


お祝いに・・・と
図書券と、
2~3行の簡単なお手紙と
届いた恩師お勧めの本が一冊^^



いつもこうなんですよ^^

子供達に読み聞かせを勧めてくれたのも
どんな本を読めばいいか
本のソムリエをかってでてくださったのも
そして、共有しサポートしてくれたのも

今回のように
今の私にピッタリな本を教えてくれるのも
全て彼女なんですから・・・^^



さて、その本から今日は
少しばかり抜粋してお話したい。


人の心の傷にデカい、小さい、深い、浅い
これは誰かと比較することは
失礼なことなんだ。

ということです。



「とにかくあの出来事は、僕にとっての
「男としてのプライド」を根底から崩すほどの
衝撃的な事件だった。もとい、そもそも
「男としてのプライド」ってのが芽生える前に、
それが芽生える可能性のあった土壌に
壊滅的な打撃を与えた、って言っていいだろう。

つまり、すごくデリケートな扱いを必要とする
「思い出」なんだ。間違ってもノボちゃんなんかに、
軽く話題にされたりしていいようなものでは、
断固として、ないんだ。」

主人公は現在14歳の男の子です。
あだ名はコペル君

過去の幼い時期に沼で足を取られて
大事な長靴をダメにしてしまい、
いつも大事にして履いていた長靴との思い出が
走馬灯のように駆け巡り、
長靴とお別れする辛さに耐えきれず大泣きする。

その姿にあの当時自分より大きかった女の子が
何とかして沼から長靴を生還させてくれて
助けてくれた。



・・・っていう過去のほろ苦い思い出を
叔父であるノボちゃんによって からかわれる。

その瞬間の主人公の心理を上記のように
梨木果歩さんは書かれたんです。



大人は子供を よく、からかうことがあります。

そんなつもりなくても、、、

今現在の年齢で言えば
その出来事はあまりにも笑えるほどに

些細な出来事で

その後のその大人の人生の経験に比べれば

ホントに些細なことで…

つい、笑い話のネタにしてしまうんですね。




これ、やったらダメよ!だめだめ!(笑)


あ、笑うところやおまへん・・・



これは、大人同士でも起こります。(笑)


いわゆるパワーゲームってやつです。
あなたより、私の方が○●よ!大会です。(苦笑


ふじたは自分のブログで
専門用語は滅多に書きません。

書いたとしても分かりやすい言葉に限定しています。

パワーゲーム。のように想像しやすいものです。


専門用語の引用は時に読み手に対して
シャッターを下ろす行為に近いと感じるからです。


相手の知らない言葉を散りばめる行為は
人によっては上から目線を感じる人も
おられるでしょうしね…



それは、例えば初めての場所やセミナーなどで
独りで勇気を振り絞って参加したら、
自分以外の参加者は皆繋がり合っていて
孤独を感じ
気後れする。

そんな感じにも似てるかもしれません。

また、
AさんとBさんだけが知っている内容を
Cさんの前で話して見せる行為にも似ている。

どちらも、デリカシーの無さ・・・(-_-;)
(ちょとずれてるけどね(^^ゞ)


パワーゲームに戻しますね。

コペル君の心情は恐らく
10代の子供たちも良く思うことでしょう。
梨木さんのこういう表現

私は大好きです。

そして大人同士でもあるということ。


例えば、散々話をした後になって
「私は過去に、あなたより
ずっと大変な想いをしてきている。」

そんなことを言い出して来たとしたら、
それは相手に罪悪感を持たせて
自分の不幸に酔っている行為です。

自分と本気で向き合ってきた人であれば
そんなことは言いませんよ?

向きあうとは・・・

例えば、上記のようなことを相手に対して抑圧かけて
つい、言ってしまったなら・・・

なぜ自分は相手に対して

「私は過去にあなたより
ずっと大変な想いをしてきている。」

と言ってしまったのか…

そこと向き合う。 ということです。

そこに隠れている物を見つけたら
今度はそこと正直にお話していくんです。

相手のせいにしているうちは
向き合っているとは言えません。


答えは常に自分の内側にあります。




例えばね、友人が可愛がっていたペットを
亡くしたと言って悲しみに暮れていたとしましょう・・・


そこへもし、ふじたが
「私は我が子を亡くした経験があるのよ。
私の経験に比べたらあなたの悩みなんて小さいし
まだマシじゃない?
ペットならまた新しいのを飼えばいい。」

なんて言ったらどうなりますかね?


これは、ふじたにとって相手の経験に比べたら
私の方があんたなんかよりも数十倍、数百倍
辛い経験してるんだ。それくらい何よ?

と言って
「不幸でかわいそうな自分に酔ってる状態」
ですよ?
別の言い方をするなら
「不幸自慢」 とも言う(笑)


でも、ペットを亡くした友人にとっては
人生最悪ってくらいの辛い辛い経験であり
悲しみなんですよ。

ここをね、
比較するのは失礼
ってもんです。

相手の領土と自分の領土は違って当たり前です。

もしこれ、心理職者がこんなことやったら
大変なことになりますよね~~~

「ふじたさん、私、もう子供をどう育てていいのか
わかりません!
何を言っても聞いてくれないんです!」


「あらそうですかぁ~・・・私も子育て悩みましたけど、
あなたのお子さんより私の子供たちの方が
ずっと大変でしたよ。だからまだマシですよ^^」

「まぁ!そうなんですか?安心しました^^」



・・・ってなりますかね?(笑)


自分の悩みを誰かと比較して
自分の方が深いとか浅いとか
重いとか軽いとか

そんなことを言うこと自体

浅はかで愚かなことです。


それ言ってる時点で
そう思ってしまうのはなぜか?

を向き合うんです。

その感情の奥に隠れている物を見つけて
認め受け入れていくんです。

それが向き合うってことです。

でもね、それには必ず立会人が要るんですよ。

独りでコチョコチョやってたって
本丸にはなかなか行かんですよ?

立会人が居たとしても…一発ではなかなか難しい。


徐々に進めていかないと…です。

(一発で行ける場合もあります。)


そのサポートをするのが私等の仕事です。


何かでスッキリしたフリをしても
分かる人は分かります。

でも、それでも 梨木さんはこんな風に言うてます。


「そもそも自分で選んだことだろう。
ぐだぐだ言うなよ。今さら」

です。


決めたのは自分。
選んだのも自分。


誤魔化しであれ、本気であれ、
逃げであれ、・・・です。

ちなみに、誤魔化しっていうのは
問題をその壁に沿って行くパターンね。

壁沿いは永延ですので・・・・

逃げるって言うんは
一端撤収して武器なり装備しに行くんです。

だから挑みなおす。


本気は死ぬ覚悟ってところかしら。

でも、セッションで死ぬことはないけど
そのくらいの覚悟かもね。

一端メンタルを更地にする。
・・・みたいなとこあるしね…


こんなこと書くと怖くなるかもですが…


はい、あなた一人で行かせはしない!(^^)!


必ずお供しますのでご安心を…



必ず大きな分岐点になることは
間違いありません。^^




今日は
「大人(親)が子供をからかうデリカシーの無さ。
悩みに深いも浅いも重いも軽いもない。
それ、失礼やろ?」

ってお話でした^^


えぐりすぎたかも・・・

不快に思われt方がおられたらお許しを…m(__)m


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