言葉はかえって薄っぺらくなることがある。それは親子でも夫婦でも人間関係でも言えること。

「言葉はかえって薄っぺらくなることがある。
それは親子でも夫婦でも人間関係でも言えること。」
⇧本日のアメブロ記事

 


今日は独り言です。
なのでツラツラと書いていきます。

時々人は誰から教わったわけでもないのに、
言語以外からのメッセージを受け取ることがあります。

大事な人の身に何かあった時なんかは、
それですかね…


これは、敏感体質でなくても
あるんじゃないでしょうか?




高校時代の友人のお父様が先日亡くなられました。

私はその頃、
「近々私は葬儀には間に合わず
一人だけ別の日に行くんだな。」

と・・・急にそう感じて、
でも何事もないかのように、
そして、それに気がついていないフリをして
日常を過ごしていました。


だから、その亡くなったお父様の友人に
直接連絡なんてできなかったんですね。

それでも現実は突きつけてきますよね。

そのまま数日過ぎた頃
高校時代の仲間から連絡が来た。

それぞれが何かを察知し、連絡を取り合い、
そして代表して一人の友人が
その亡くなったお父様の友人に連絡を取り、
遂に判明・・・


で、携帯番号が変わったため、
ふじたに直接連絡できずにいたのに
諦めずにFBで探し当てメッセを飛ばしてきてくれた。

「ちぃ、私等は○日に行くけど、都合つく?」

と。

私はその日は大事なセミナーが入っていて
行けなかったんですね。

でも、その一週間後に行く都合をつけ、
とんぼ返りで先日行って参りました。

ちょうど夫が赴任先から大阪に仕事で来ていて、
そのまま会社を翌日有給取ってくれたんで、
連れて行ってもらった。

(ふじたは運転すると30分くらいで眠たくなって
とても危険なので・・・(^^ゞ)

ちぃが来るぞ!

ということで…
高校時代の友人達も集まってくれました。

おじさんに手をあわせて、色々お話していると
体が段々ポカポカと温かくなって、おじさんから

「ちいちゃん、来てくれてありがとう!
これからも変わらず頼むわな!」

って言ってくれてる気がして、
そしてちょっぴり、おじさんの気がかりも感じられて、
何か心配してるんだなって思った。

おばさんは家にいなくて職場にいたので
帰る直前、仕事場にも立ち寄らせてもらった。

私を見ると、ちょっと間をおいて、
でも直ぐに私だと気がつき、
こちらに来てくれました。

何もお互い言葉を交わさないのだけれど、
ただ、涙だけが流れるんだけれど、
ただそれだけでお互いに手を握り合うだけでした。

おばさんは相変わらず可愛らしくて、
ちょっぴり小さくなった気がした。



言葉が必要ない関係って
なかなかないと思うんですよね。

そのような関係になれた背景には
高校時代、友人が家に居なくても
ちょくちょく立ち寄って
おじさんとおばさんの顔を見に行っていた。

何でもないんだけど、
「ただ前を通りかかったので^^」
という理由で、
おじさんとおばさんの顔を見て帰った。

結婚してからは、なかなか行けなかったけれど、
それでも、おじさん、おばさんの居る土地に
出向いたときは必ず顔を見に行った。

最期におじさんに会ったのは数年前だけれど、
その日もなぜか直感的に

「おじさんに会うのは今日が最期だろうな。」

と私は気がついていて知っていたんですよね・・・


学生時代の友人たちも、
その友人のご両親が大好きで、
だからこそ、それぞれが何かをキャッチし
気を使って何も言わずにいる彼女に
さりげなく確認し、式は終わっていても皆、
それぞれが出向いたんだと思います。


普段は全く連絡取り合わん仲間なんですけどね^^


ふじたなんか、携帯番号変更してて
連絡つかなかったにもかかわらず、
FBで検索して探してくれて、
連絡つけてくれたんですからね^^

ありがたいです^^


お父様を亡くされた友人は

「本当はまだ姿があるうちに(焼かれる前に)
ちぃに会って欲しかったん。」

と。

「でも、忙しいこと知ってるし、
遠いところ来てくれとは言えなかった。」

と。


それぞれが
それぞれを想う気持が交錯する。


時に人はこれを

「なぜ言ってくれなかったんだ。」

と思うかもしれないけれど、、、


そこにある裏のメッセージを受け取ったなら、
それは言えない。


受け取
受け取らない
受け取ないか。


この違いなんだと思う。



またもう一つ。

おばさんと会った時、
一言も言葉は交わさなかったけれど、
ただ涙だけが流れただけで
お互い手を握り合っただけで
一言も交わさず別れたあの時に感じたこと。


言語化することばかりが良いわけじゃなく。


言語化することで
逆にそれが
薄っぺらくなることがある。


むしろ、何も言葉は必要が無く、
ただその一瞬傍に居てるだけで、
十分伝わることが多々あるんだということ。





これ、カウンセリングでも良く起こるんだけれど…




その瞬間はとても生々しくて、
そこにあるお互いの感情が生きてて、
今この瞬間の鮮度をお互いが感じる感触。


だから、通じ合っていない関係では、
何とか言葉で誤魔化して、
あなたの気持ちわかっていますよアピール
しようとするけれど、
通じ合っていると、そんなものは
逆に無くてもいいことを知る。


言葉っていうモノは、
便利で大切なツールだけれど、
使い方は多様で、

使いすぎても
使わな過ぎても
伝わなかったり
伝わったりする。

特に聴くとき。

そうなんだよなぁ…


改めて、おばさんと再会して
そんなことを思ったのでした。



いづれ行く道
私来た道。



今日は

「言葉はかえって薄っぺらくなることがある。
それは親子でも夫婦でも人間関係でも言えること。」

でした。


ただ、傍にいるだけで救われることもあるし、

ただ、傍にいるだけで伝わることもあるし、

ただ、傍にいるだけで癒されることもあるし、

ただ、傍にいるだけで確信できることもあるし、

ただ、傍にいるだけで助けになることもあるし、

ただ、傍にいるだけで

何も言わなくとも、

解放されることもある。

(他にもまだまだあるんだけどね…)

でもね、

受け取り手に受け取るお皿がないと、




受け取れないんだよ。





傷にまみれた状態では

受け取れないんだよ。





あ・・・最後に、またやっちまった💦


いい締めくくりだったのになぁ~~~…(^^ゞ

チャンチャン!


最後に、この記事を投稿することを
快く快諾してくれた友人に



感謝^^





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