思考ではなくとっさ的にでた行動が結果的に上手く行く。ようは感じることを大切にね。親子関係

「思考ではなくとっさ的にでた行動が
結果的に上手く行く。
ようは感じることを大切にね。親子関係」
⇧本日のアメブロ記事・・・



以下の記事は
思考は邪魔なんだって思った瞬間でした。

昨日は、ふじたは京都へ向かうために
最寄りの駅のパーキングが満車だったため、
もう一つ先の駅に向かっていました。

途中道路が
二車線から一車線に一瞬なるところがあります。

そこに差し掛かった時、
後方から救急車が来ました。

あ~~~救急車やぁ~~💦

…て思いながら
一車線から一気に三車線になるところに差し掛かり
左折レーンへふじたは移動。

前方は信号 赤。

信号までの距離、
約、車10台分ほど空けた状態で停まりました。
(何故か
「ここで停まった方が良い。」
と無意識に判断。)

ふじたの後方から来る車も
ふじたがストップしたので停車。



救急車は三車線に入った物の
前方の信号が赤なので
一般の車が停止してて動けません。

どの車線も隙間なく一杯です。

その時、真ん中の直進レーンの車一台が
ふじたの前方から信号までの
車10台分ほど空いていることに
気がついてくれました。

一台の車が直進レーンから
ふじたのいる左折レーンへ動くと
次々とほかの車も左折レーンへ移動し、
右端のレーンも同時に
出来る限り右へ車を寄せます。

そうやって動くことで
少しずつ前へ進み、
救急車も真ん中を走れる状態になりました。

信号は赤ですが、交差する信号は青にも関わらず
停止状態でいてくれていましたので、
救急車はそのまま前進。


その後、ふじたの前に居る車たちは
元いた直進レーンへと戻り
信号が青に変わり通常通りになりました。






救急車が来たら、道を空けて通しましょう。

それは自動車学校でも習います。



ですが、ふじたのべっぴん娘が
生後二か月で救急車で運ばれたとき、
あの当時、奈良県内の結構大きな市に
住んでいたのですが、
救急車の前にわざわざ入ってくる車もいたりして、
道を空けてもらえなかったのを
今でも覚えています。


最初、自宅から車で5分の距離にある
大学病院へ問い合わせしたけれど、断られ
県境の病院でやっと受け入れてもらえ、
上記のような状態で救急車を走らせ
到着したと思ったら

「え?新生児?僕診れないよ?」
って言われ、
「大学病院に知り合いの小児科医がいるから
電話してあげようか?」
と言ってもらい、
その先生が電話したら、すんなりOKが出た。

さっき、救急隊員が電話した時は断られたのに・・・
です。"(-""-)"

結局自宅から5分もかからない大学病院へ行くために
約3時間かかった・・・



救急車を見ると、いつもこの出来事を思い出す。


救急隊員はあの時、大学病院へ向かいながら、
私に こう言いました。

「奈良はねぇ・・・小児科が少ないんですよ・・・
ホントに少ない・・・」


今も変わらず少ないのだろうか?

もう、15年たったので、分かりませんが・・・
(実際他県でも似たようなことありましたよね…)



でも少なくとも、
昨日のあの皆のとっさの判断は、
誰も声を掛け合っていないし、
伝えていないのに、
瞬間的に動いて救急車を通した。

危機的状況下にあるかもしれない人を乗せた
「救急車を先に行かせよう。」

という暗黙の目的の為に
皆が同じ方向に立ち

動いた。

思考じゃなく、

とっさ的に。(本能的に・・・かもしれないね。)




ちょっと、話が脱線するのですが・・・

これって、色んなところでも言えないかな。

例えば直感的に感じたエネルギー。

「なんか、これ見てるとワクワクする」

「なんか、これ触ると妙に安心して落ち着く」

「なんか、これ嫌な感じ…」

「なんか、これ見てると寒気する…」


なのに、それを無視して思考で

「この値段だと・・・
ちょっと高いよね・・・あきらめるか」

「この値段なら、お得よね~~~
今買っといた方がいいかも♡」


・・・ で?

そんでええのか?


無意識は知っている。

知っているからこそ
何かを感じてワクワクしたり、
安心したり、
嫌な感じになったり、
寒気したりしてるんだけど?・・・

そう思うんですけど?・・・(^^ゞ

(こじつけて言うならば
ふじたが救急車が来て、とっさ的に
前方信号までの距離
約 車10台分を空けて停車したように。

瞬間的に感じたことに従うってことです。
あの時、思いっきり思考をフルに活用させていたら
かえって考えすぎて頭真っ白になって
身動き取れない状況になっていたかもしれない。)


思考は思考で大事なんですけど・・・

直感や、感覚を優先させた方が
いいこともあるんですよね…


子育てで、この子の為と思って
一生懸命お勉強させて
塾へも送り迎えし
お弁当作ったりして塾へ持たせて親子で頑張り
中学受験させました。

頑張った甲斐があって合格できました。

でもイザ入学してみたら
自分には校風が合わなかった。

なので
中退して、夜間学校へ通うことにしました。



いえね、これも、プロセスですよ。


ただ、ここに
親の思考は一つも入っていない。
・・・
と言えるだろうか?


仮にね、
大学まで一貫した学校へ入学させたい。
それは親の想い。


でも、その親の想いと子供の考えが
一致していればOKです。
何も問題はない。

子供も自分で考えて決めたのであれば

ええんです。

それでも、
校風があわなくて中退したとしても、

そんでも ええんでんす。

それこそプロセスです。

自分で決めたことに対するプロセスですからね。。



でもね、同じ結果であったとしても、、、

そこに親の思考が入っていたとしたら・・・?



それもプロセス!

…とは、ちょっと言い難い。

そもそも、本人が納得しないでしょう?

(でも、それでも決めたのは自分です。
あの状況下では何も言えなかった。
そうです、その通りです。
だからこそ、
納得できないシコリが残るんですよね?)


何も感じていないフリは
やがて本当に何も感じられなくなる。
そしたら、
痛いのか、痒いのか、苦しいのか
分からなくなる。

それでどうやって自分の身を守れるというのか…



感じることは、とても大事なことなんですよ^^


それを麻痺させて抑えていたら
健康的に生きにくい…と、思うんだよね・・・



自分を守るためです。

感じることを抑えないでね^^



感じることを抑えないでいられるようになったことで、
自分を守れるようになり、

自分を守って大事にできるようになったことで、
他人に対しても、
同じことが出来るようになるんじゃないだろうか?




・・・ってことで、皆さま




救急車が来たら通してくださいね^^





それと・・・

「感じること」 じたいが

良く分からない・・・

って方。

いらしてください。

ってか、
自分が納得できる心理職の方を
お探しください。


まずは、あなたの感情の麻酔薬を
抜いていくことから
始めて行きましょうか^^


今日は

「思考ではなくとっさ的にでた行動が
結果的に上手く行く。
ようは感じることを大切にね。親子関係」

ってお話でした^^

思考、コントロール、目論見、
それらは
人の人生の領土に許可なく土足で侵入し
踏み荒らす行為です。

その行為、
かつてあなたも過去に誰かから
されて来なかったですか?

そこを癒すこと
そこと向き合うこと
そこに気付きを与えることで

その傷を擦り付けずに済むようになれます。

そして、

自分を責めずにいられるようにもなれます^^

ふじたも、最後まで

おともしますよ^^


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